熟年サラリーマンは仕事でも私生活でもストレスをため込んでいる。群雄割拠の中、生き残りをかけ、戦に明け暮れた戦国武将たちが遺した言葉には、「会社と仕事」「上司と部下」など現代人の心に刺さる警句に満ちている。武将たちに学ぶ、現代を生き抜く言葉のサプリメントを贈る!
戦国時代の大名たちは、領国内の武士や領民を支配する一方で、領内の政治、経済などのもめ事を治め、善政を行うことが求められていた。下層階級の者が上を目指して成り上がる「下克上」の時代でもあり、領民や家臣たちに見放された場合には家臣の反乱や領民たちによって追い出されるなんてこともあったのだ。
「人、城を頼らば、城、人を捨(しゃ)せん」(織田信長)
これは、戦国武将の中でも最も人気の高い織田信長の言葉だが、人が城を守るのであって、城が人を守るのではないという意味になる。エキセントリックで武断的なイメージが強い信長だが、城に象徴される国や組織(会社)よりも、それを構成する人材(社員)が最も重要なのだと考えていたということだろうか。
信長はいち早く、新しい戦法として欧州から伝来したばかりの鉄砲を導入し、長篠合戦に勝利し天下統一への階段を登り始めるが、経済面でも城下に集まる者誰もが自由に商売ができる「楽市・楽座」を開き、貨幣の統一なども行っている。まさに、統治(ガバメント)の革命でもあったのだ。とはいえ、義父である齋藤道三の孫・龍興(たつおき)を滅ぼしたり、実の妹のお市の方が嫁いだ浅井長政を攻めたり、この言葉とは裏腹に人を信じない一面から、最後には家臣の明智光秀に本能寺で討たれてしまった。創業家といっても安心できないのが、平成の世のビジネスの世界にも通じる教訓とも言えそうだ。
中高年になると、社内では当然ながら古株になる。そこには無責任な上司と、近年とみに増えている出世や上昇志向にまったく関心を示さないバカ部下というのがいる。彼らをなんとか引っ張っていくことを求められる中高年・中間管理職たちは、上と下の板挟みでとんでもないストレスをため込むことになる。
家臣たちの人心掌握にたけた武将では武田信玄がピカイチだろう。甲斐の虎と呼ばれ戦国最強と言われる軍団を率いた信玄には、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」(武田信玄)という有名な言葉がある。ビジネス書などでも取り上げられることが多いこの名言は、部下それぞれの個性を見抜いて城や石垣になぞらえ、部下を信じることの大切さを言っている。
「人をばつかわず、わざをつかふぞ」(武田信玄)
信じられれば、それに応えようというのが人間。ダメ部下と切り捨てていては、本当にバカ上司になってしまうだろう。このことを400年も前に、信玄はそう言っている。
織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時、すかさず秀吉に天下取りを進言したという切れ者で、豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛も、人材登用に関して主君=経営者に厳しい言葉を遺している。
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主あるじだ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」(黒田官兵衛)
業績回復のための切り札に人員整理=リストラするしかないとするような無能な会社幹部たちこそ、リストラしなければならないのだ。ちなみに、秀吉は「わしの死後に天下を取るのは官兵衛だ」として官兵衛の頭脳明晰さを恐れていた。それを伝え聞いた官兵衛はすぐさま引退を決意し、太宰府に退いた。上司に疑われたなら、そんな上司の下から去るのも一手なのかもしれない。
リーダーとなった時に最も戒めなければならないのが、北条氏康の次の言葉。
「下の功労を偸(ぬす)まざれ」(北条氏康)
部下の手柄を自分のもののように言う上司というのは、最も卑しい軽蔑すべき行為だと思うが、えてしてそうした人物が出世するというのも世の常でもある。
そんな時は、大坂夏の陣で豊臣方について活躍し昨年の大河ドラマ「真田丸」などでもおなじみの真田幸村(信繁)の言葉をかみしめてみるといい。
「いざとなれば損得を度外視できる性根。それを持つ人間ほど怖い相手はない」(真田信繁)
損得勘定でなく、みずからの信条で動く者こそ本当に強い者なのだということを。上司の評価など何ほどのものでもない‥‥と言いたいところだ。