想像していた以上にガッカリした──。それが吉永小百合(73)の最新主演映画「北の桜守」(東映)を見終わった時の率直な感想だった。
これが通算120作目。「北の三部作」の1作目「北の零年」なんかもそう‥‥北海道の吹雪のシーンが出てきて、こんな寒いところで頑張ったんですよ、という撮影エピソードが付随する。そうして大上段に構えて、さぁ感動しなさい、と言われている気分になってくるのだ。
映画は五感に訴えるもの。こんなに過酷な極北の環境で小さい子供を抱え、頑張って戦禍から逃れ、極貧生活をしのぎ、つつましく生きていく‥‥などというのはもう、「おしん」と同じ世界だ。そんなものを観ても仕方がない。状況設定と時代に頼り、そこに戦争、極貧、そして感動の押し付け。小百合は作品と、何よりも監督を選ばないとダメなのだ。
──
滝田洋二郎監督がメガホンをとった「北の桜守」。吉永は滝田作品に出演するのは初めてだという。
樺太で暮らしていた江連てつ(吉永)は、ソ連軍の侵攻から逃れるため、国民義勇隊に召集された夫・徳次郎(阿部寛)を残し、2人の息子を連れて網走へと渡る。
親子を待っていたのは、壮絶な極貧生活だった。その後、アメリカへ渡った次男・修二郎(堺雅人)は、米企業の日本社長として帰国する。認知症の症状を見せ始める年老いた母・てつの姿に衝撃を受けた修二郎は2人で、かつての思い出の地への旅に出発する──。
──
弾けるような、跳ね返るような、はみ出るようなものが、演技にはないといけない。それは年を取ったからどうだということではない。ところがこの作品の小百合には、それが全くなかった。セリフの言い方ひとつにしても。かつての小百合には、あふれ返るような魅力があった。出てくるだけで引きつけられた。
認知症老人の役をやるなど意外ではないか──そんな声もあるようだが、私を含めた小百合ファンは、年を取ってヨボヨボの老人になった、ボケた小百合など見たくないのだ。
小百合はいつから、こんなふうになったのだろう。
28歳で結婚した小百合はその後しばらく、休養に入った。ファンクラブが解散してからも、私は応援していた。小百合がポツポツと仕事を始めた頃のこと。私は「出会い」という雑誌の随筆企画ページに原稿を依頼された。そこで小百合に宛てて書いたのは、
〈小百合の前に小百合なし。小百合の後に小百合なし。あんな美少女、そしてこれだけの素質を持った人は、もっと(映画に)でなきゃダメ〉
小百合へのエールだった。すると小百合本人から手紙が届く。
〈恥ずかしいけど、とても嬉しい〉
素直な返事だった。
中平まみ(作家)