それから女優活動を「再開」した小百合の作品の完成試写会には、私は必ず呼ばれていた。ある試写会場での関係者向けのプレビューで「小百合ちゃん!」と声をかけたら、「いい席がなかったら言って下さいね」と。期待して見たその作品が「天国の駅」(84年・東映)だった。死刑囚の役に挑戦するなど、冒険しているなと感じた、いい作品、演技だった。
その後も折にふれ、私は参謀みたいに「こういう役をやったらいいんじゃないか」と、小百合にアドバイスを送っていた。
ところが、「玄海つれづれ節」(86年・東映)、「華の乱」(88年・東映)の出来がよくない。前者は例えば、賭場で手の甲にドスを突き刺される演技が変だし、トリオで歌い踊る場面も稚拙、拙劣(演出の問題だが)。後者に至っては、試写会場のどこかから、ガーガーとイビキが聞こえてきたのを覚えている。
それでも私はまだ、「今後、何かあるんじゃないか」と期待しながら観た「霧の子午線」(96年・東映)。これがどうにもよくなかった。
さらに、昔の恋人・渡哲也(76)と共演した「時雨の記」(98年・東映)、「長崎ぶらぶら節」(00年・東映)にも閉口。渡が舞台挨拶で、
「せっかく吉永さんとこうしてやるなんて、めったにないこと」
と言っていたのだけど。
決定的だったのは、「千年の恋 ひかる源氏物語」(01年・東映)。思わず試写会場を途中退席してしまうほどだったからだ。
この間、唯一いいと思わせてくれたのは、「女ざかり」(94年・松竹)。かつての日活時代の良さが甦ったようだと思ったからだった。
小百合が仕事をセーブし、やがて復帰してからの「小百合らしくない」作品、演技を苦い思いで観ていた私だったが、コトここにきて、我慢も限界に達してしまった。
私は「千年の恋──」について書き綴ったファックスを、小百合に送った。
〈途中で出てしまいました。あまりによくなくて〉
すると小百合から同じくファックスで送られてきた返信には、
〈ほめてくださるまで、お会いしません〉
と書かれてあったのだ。
小百合が小百合でなくなった原因はどこにあるのか。
かつて、映画が斜陽になってくると、小百合はテレビドラマに出ていたことがある。当然のことながら、映画とテレビは違う。スクリーンは大きいけど、テレビカメラ、テレビ画面はそれとは全く異なる。乱暴を承知で言ってみれば、こまごま、ちょこまかとした演技になるのだ。
中平まみ(作家)