大会初日の第3試合に登場する明秀日立(茨城)は春夏通じて初の甲子園である。茨城県といえば、常総学院が全国屈指の強豪として名を馳せているが、その常総に秋の県大会準決勝で5‐4で競り勝って春の選抜へと続く関東大会への出場を決めた。その常総のためにも聖地で旋風を巻き起こしたいところだろう。
常総学院は“木内マジック”で知られる名将・木内幸男前監督が率いた同校は21世紀初の選抜優勝校でもある。
2001年第73回大会。この時の常総はさして特徴のないチームだった。プロ注目の選手は少なく、中の上の平均点的な選手ぞろい。だがそのぶん、監督の采配がものをいった。初戦の南部(和歌山)戦こそエースの村上尚史が不調と見た木内の判断で先発に二番手投手の村田哲也を起用し、これが大誤算となって3回表の終了時に7点差と大量リードを許してしまった。しかし3番手として投入された村上が6回を投げて被安打1、11奪三振の好投を見せる。打線も5回裏に8‐7と逆転し、そのまま押し切ったのだった。
この大逆転で波に乗った常総は2回戦の金沢(石川)戦を4‐1、準々決勝の東福岡戦を4‐2で勝利する。準決勝の関西創価(大阪)との一戦は、この大会屈指の右腕と言われた相手エースの野間口貴彦(元・読売)の攻略に苦労して延長戦へと突入したものの、延長10回裏に7番の横川史学(元・東北楽天など)がサヨナラ打を放って2‐1の劇的勝利。決勝へと進出したのである。
雌雄を決する相手は東北勢初の甲子園優勝に燃える強豪・仙台育英(宮城)。試合はめまぐるしい点の取り合いとなり、4回終了時での4‐2のスコアが7回終了時には6‐4。先の読めない展開となっていた。その流れの中で常総は9回表に1点を追加したが、これが結果的に大きかった。その裏に2失点したものの、7‐6で逃げ切ったのである。
ポイントは1‐1の同点で迎えた3回表の攻撃だった。1死一、三塁のチャンスでなんと6番の横川がセーフティスクイズ。これが内野安打となり、さらに2点タイムリー二塁打も飛び出して一挙3得点を挙げたのである。この試合では5回までに実に9回もバントを試み、8度成功させた。このうち内野安打になったものは4本。内野フィールドだけで勝利した試合ともいえた。木内は守ってもめまぐるしいほどの投手リレーで防戦。エース村上の先発から二番手には投手兼外野手の村田、さらに三番手には右サイドハンドの平沢雅之。最後はまた村田がセンターからマウンドへ上がり、小刻みな継投で木内にとってもチームにとっても初の春の選抜優勝を達成したのだった。そして木内率いる常総はこの2年後、今度は夏の選手権で初優勝を果たす。その時の相手も奇しくも同じ宮城県勢の東北であった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=