桑田真澄&清原和博(ともに元・読売など)の“KKコンビ”のPL学園(大阪)は高校野球史上最強チームの一つとされているが、実は5季連続甲子園出場を果たした中で唯一、決勝進出を逃したことがある。それが1985年の第57回春の選抜。豪腕・渡辺智男(元・西武など)を擁する伊野商(高知)が立ちはだかったのだ。
とはいえこの伊野商、当時地元の高知県下では高知商、高知、明徳義塾と並び4強の一つに数えられていたというが、その中では唯一、春夏ともに甲子園出場経験がなく全国的にはまったく無名の存在。当然、伊野商ナインの思いは“初戦突破”。初陣らしい目標だった。
ところが抽選の結果、初戦でこの大会、優勝候補の一つに挙げられていた東海大浦安(千葉)と対戦することに。戦前は東海大浦安有利との声が圧倒的だったが、それを吹き飛ばしたのが渡辺だった。打っても4番を務める渡辺は1回表、2死一塁から豪快な先制2ラン。東海大浦安ベンチの度肝を抜く一撃だった。投げては被安打6の1失点完投。5‐1で甲子園初勝利を挙げたのだ。
2回戦の鹿児島商工(現・樟南)戦は1点を追う3回に2安打3四球に犠打を絡めて2点を取り逆転。4、6回にもバントから得点に結びつけてリードを広げる。結局、5‐3で勝利となったが、放ったヒットは伊野商12本に対し鹿商工は9安打で、5犠打の伊野商に対し、鹿商工は0。この差が勝敗を決めたのだった。
準々決勝は同じ四国の西条(愛媛)と対戦。伊野商は初回と4回に四球でもらったチャンスからタイムリーでそれぞれ得点。5‐0とリードしたことで渡辺は余裕の投球を披露。大きなフォームからの伸びのあるストレート、小気味よく決まるカーブとシュートで西条打線を沈黙させた。被安打7ながら甲子園初完封を演じたのである。
そして迎えた準決勝でついにKKコンビのPLと激突したのである。そのPLのエース桑田から初回にエラー絡みながら2点を先制。6回には7番・横山博行のタイムリー二塁打で1点を追加した。一方で渡辺は140キロを超す速球を武器にPL打線をねじ伏せる。5回裏に9番・松山秀明(元・オリックス)に本塁打を喫して1点を失ったものの、それ以外で二塁を踏ませたのはわずか1度という快投を見せた。しかもPLの主砲・清原からは4打数で3奪三振1四球。この清原には全19球を投じているが、カーブはたった1球のみ。あとはすべて直球だった。にもかかわらず清原は全球バットにかすることすら出来なかった。被安打6の1失点完投。3‐1での金星だった。
翌日の決勝戦で渡辺は帝京(東京)相手に打ってはみずからもこの大会2本目となる2ランを放ち、投げては被安打6の完封劇。4‐0で勝利し、大会史上13校目の初出場初優勝を決めた。後年、社会人を経て西武に入団した渡辺はそこで清原と久々再会するが、そこで「待ってたよ」と声をかけられたという。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=