今大会では2回戦で神戸国際大付(兵庫)の谷口嘉紀と天理(奈良)の神野太樹が2打席連続本塁打を放ち、スラッガーぶりを見せつけた。実は昨年までの夏の甲子園で2打席連続本塁打を放った選手は31人もいるのだが、これが3打席連続本塁打となるとまだ誰も達成者がいないのだ。
ただし、1試合最多の3本塁打なら2人の選手が達成している。1人はPL学園(大阪)清原和博(元・巨人など)。そしてもう1人が大阪桐蔭の平田良介(中日)である。
清原が達成したのは2年時の84年第66回大会だった。1回戦で享栄(愛知)と対戦したPL学園は打線が大爆発、12‐0と大量リードしていた。清原自身も第1打席の右前打に始まり、右越え本塁打、四球、左越え本塁打、死球と3打数3安打の大活躍。
そして最大の見せ場である第6打席が9回表にやってくる。ポイントはその直前の8回裏の守備でのことだった。この試合、一塁を守っていた清原の緩慢な動きのせいでPLのエース・桑田真澄(元・巨人など)は一塁キャンバスの横を抜ける三塁打を許してしまい、これがきっかけとなって1失点を喫してしまった。
8回裏の守備を終えてベンチに戻った清原が桑田に謝ったところ、「もう1本打ったら許したる」と言われ、9回の打席を迎えたのであった。その9回表二死三塁。この試合6回目の打席で、相手投手のカーブを叩くと打球は滞空時間の長いアーチとなって左中間スタンドへ。この瞬間、夏の甲子園大会新記録となる1試合3本塁打が達成されたのである。
この清原の作った1試合最多本塁打3本に並んだのが平田だった。05年第87回大会準々決勝の東北(宮城)戦で、平田はまず2回裏に左翼席最前列へと飛び込む先制ソロを、続く4回裏には2打席連続となるライナーの一発を左中間へ運んだ。そして3‐4と1点ビハインドで迎えた7回裏の第4打席。二死三塁の一打同点の場面で打席に立つと、何とバックスクリーン右にぶち込む特大の逆転弾を放ったのだ。この試合、終わってみれば4打数4安打5打点という大活躍ぶりだったが、惜しかったのが5回裏の第3打席だった。1アウト一、二塁のチャンスの場面で平田の打った打球はあと少しでスタンドインするかというライトフェンス直撃の二塁打となってしまったのだ。
もし、これが入っていれば1試合3本塁打どころか、4打席連続本塁打というプロ野球でも滅多にお目にかかれない“空前絶後の大快挙”になっていたワケである。とはいえ、清原の時代にはラッキーゾーンがあったため、平田のマークした“スタンドイン3本”は春夏の甲子園を通じて史上初めての記録となったのであった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=