春夏合わせて7度も甲子園を制した、高校球界の名門・PL学園硬式野球部が廃部の危機に瀕している。来春入学する新入生の部員募集を取りやめるというのだ。栄光の歴史を思うと寂しいばかりだが‥‥。
表向きは「監督不在」を部員募集撤廃の理由にあげていたが、その監督候補の就任条件を「教団の信仰」とするなど門を狭めているのだ。この異常事態の背景を大阪のスポーツメディア関係者が語る。
「現在、PL教団の三代目教主の体調が芳しくない。その結果、夫人の意向が教団の舵取りに大きな影響を及ぼしているのですが、野球部に関して『OBはプロになって何千万円も稼いでいるのに、全然寄付しない』などと、野球部OBの信仰心不足などを問題視しているようです」
それでも野球部は、長年にわたってPL教団の“広告塔”となってきたはずだ。5季連続甲子園出場を果たし、2度の全国制覇を果たした清原和博(47)、桑田真澄(46)のKKコンビが入学した83年から、立浪和義(45)、片岡篤史(45)、野村弘樹(45)、橋本清(45)らを擁し春夏連覇を達成した87年あたりまでが全盛期だろう。野球部が快進撃を続けた効果か、当時のPL教団はなんと250万人近い信者を抱えていた。ところがここ10年、プロ入りして著しい成績をあげるようなOB選手も前田健太(26)ぐらいしか見当たらず、現在の信者数は100万人を切ってしまっている。野球部の存在意義が失われつつあるのが現状である。
とはいえ、あらためて振り返っても、PLの野球史はあまりにも輝かしい。高校球界に詳しいスポーツライター・飯山満氏が回想する。
「全盛期は、練習を見学しただけで他校の選手たちが“戦意喪失”に陥るほどレベルが違った。例えば内野守備でボール回しをするのに、10周で1分かからないんです。通常は1分半でも平均以上の記録となりますからね。そんな“常勝軍団”を80~98年まで指揮した中村順司監督(68)は技術指導をするより、『体が大事だから手を洗いなさい』というようなことを言うだけで、練習を見守っているだけだった。野球の天才ばかりが集まっていましたが、上に行けるのは、強い意志を持って自分自身で練習に取り組む選手だけでした」
一方で、高校生離れした球児たちの間には、上級生が下級生に身の回りの世話を強いる厳しい上下関係も存在し、暴力事件に発展することもしばしばあった。
「暴行事件が明るみに出ることは昔からありましたが、一定の秩序は守られていました。それはKKや福留孝介(37)など、一流選手の入学に関わり、その後も親身に教育し、熱心に育てた、元監督の敏腕スカウトが部に目を光らせていたからです。ところが2000年を最後に学校を去ってしまった」(PL関係者)
その後、部内の暴力事件が次々と発覚し、01年に活動停止処分、08年は監督辞任、11、13年にも対外試合禁止処分が下っている。
「裁判ざたになったケースもあり、正座した下級生の両腕を後ろ手にしてバットで固定し、腹を何度も蹴るなど陰湿なイジメでした。当時は理不尽な“罰金制度”も横行していたとの噂まであった」(球界関係者)
PLのイメージダウンと並行して、大阪桐蔭や履正社に優秀な球児が入学していった。名門復活の手立てはないものか──。
「プロ出身OBの監督就任で、また活気を取り戻す可能性は高い。実際、桑田や吉村禎章(51)の名前が取りざたされたこともありました。しかし、その動きをプッシュしていた教団幹部が昨年亡くなり、野球部の立場は厳しくなっているようです」(前出・PL関係者)
それでも現役のPL球児たちは、来季の甲子園出場を目指しているのである。