大会3日目の第1試合で関東大会の覇者・中央学院(千葉)と対戦する四国の強豪・明徳義塾(高知)。春の選抜は今年で3年連続18回目の出場となるが、実はまだ優勝したことがない。夏の選手権では2002年の第84回大会で優勝経験のある同校。今回は昨秋の明治神宮大会を制覇していることもあって、優勝候補として甲子園へ乗り込んできており、春の選抜初制覇に期待がかかる。
高知県にはこの明徳義塾と逆で春の優勝はあっても夏の優勝がない強豪校がある。戦後すぐの1948年第20回大会で初出場を果たした古豪・高知商である。阪神タイガースの藤川球児の母校としても知られる同校はその2年後の第22回大会でいきなり準優勝。そこからまた7年後の第29回大会でも準優勝と、優勝までいつもあと一歩届かなかった。その後、夏の選手権でも1978年第60回大会で決勝戦進出を果たし、9回表まで2‐0とPL学園(大阪)にリードしていたものの、その裏にまさかの大逆転負けを喫し、春夏通じて決勝戦は3戦3敗。シルバーメダルコレクターと化していたのである。
そんな高知商を甲子園初優勝へと導いたのが、中西清起である。1985年にリーグ優勝&日本一に輝いた阪神タイガースで、リリーフエースを務めていたといえばご存知の方も多いだろう。中西は打つほうでも4番打者。文字通りチームの大黒柱だった。そしてこの中西擁する高知商が堂々の優勝候補として春の選抜に臨んだのが1980年第52回大会である。
初戦で新宮(和歌山)を9‐1、2回戦で富士宮北(静岡)を7‐0と投打で圧倒した高知商は準々決勝で尼崎北(兵庫)と対戦。だが、この日の中西は不調で相手打線から13安打を浴びてしまう。初回に1点、3回にも2失点を喫するが、投がダメなら打で貢献するのがチームの大黒柱である。2回にソロ本塁打を放つと1点差で迎えた8回には左翼フェンス直撃の逆転2点二塁打を放ち、4‐3で逃げ切ったのである。
準決勝では同じく優勝候補に挙げられていた名門・広陵(広島)を5‐1で撃破。中西は被安打3の快投を見せた。こうして高知商は悲願の初優勝へ春夏通算4度目の決勝戦へと挑んだのである。
決勝の相手は伏兵・帝京(東京)。大会前はさほど評価の高くなかったチームだが、のちにヤクルトスワローズでも活躍するエース・伊東昭光を中心にした守りの野球で勝ち抜いてきた。こうして試合はのちのセ・リーグを代表する投手同士の投げ合いとなり、たがいに譲らなかった。結局、0‐0で突入した延長10回裏。1アウト3塁から高知商が犠牲フライで劇的なサヨナラ勝ち。ようやく“万年準優勝校”の名を返上したのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=