大会4日目の第2試合。今大会もV候補の大本命に推されている大阪桐蔭がいよいよ登場する。同校が優勝すれば選抜史上3校目の連覇達成となる。極めて困難なこの偉業を前回成し遂げたのは、同じ大阪府代表で、1980年代に甲子園で一時代を築いたPL学園であった。
高校野球の監督として甲子園通算歴代2位の勝利数58を誇る名将・中村順司が母校の監督に就任したのは80年秋。そしてその翌年の第53回選抜で早くもチームを優勝に導いたのである。主力選手は左腕エースの西川佳明(元・南海など)と主将の吉村禎章(元・読売)。初戦の岡山理大付戦はエースの西川が1安打完封で5‐0と好発進。続く2回戦の東海大工(現・東海大翔洋=静岡)との試合は緊迫した投手戦となったが、0‐0で迎えた9回表に主砲の吉村が値千金の決勝ソロ。これは選抜通算200号となる記念弾でもあった。投げては西川が毎回の13奪三振で2試合連続の完封勝ち。準々決勝は今大会初めて西川が失点を許したものの、8‐2で日立工(茨城)を圧倒する。準決勝の倉吉北(鳥取)は、前半はたがいにスコアボードに0を並べる展開が続いたが、6回裏にPLが若井基安(元・南海)のタイムリーで先制すると後半は力の差を見せつける形に。4‐0で西川は今大会3度目の完封となった。
迎えた決勝戦はこの大会、PLと並んで優勝候補に挙げられていた印旛(現・印旛明誠=千葉)が相手。試合は6回表に1点を先制されるとそのままこう着状態が続き、PLは9回裏の攻撃を残すのみとなった。そしてこの9回裏に奇跡が起こる。何と1死から四球、同点三塁打、そして最後は西川がライト前にタイムリーを放って、劇的な逆転サヨナラ優勝を決めたのである。PLにとっては春の選抜初優勝であった。
この翌春、史上2校目の連覇をかけて中村率いるPLは再び甲子園に乗り込んできた。エースナンバーは左腕の西川から右の速球派の榎田健一郎(元・阪急)に受け継がれていたが、走攻守に高いレベルでまとまったチームは優勝候補の一角に挙げられていた。そしてその実力に違わぬ試合運びで勝ち進んで行く。初戦の東北(宮城)戦は4‐1、2回戦の浜田(島根)は2‐1。準々決勝はこの大会優勝候補の筆頭だった箕島(和歌山)との大一番だったが、この難敵を榎田の右腕がねじ伏せ5安打完封。1‐0の僅差で逃げ切った。そして準決勝の横浜商(神奈川)には9回裏、3‐2で劇的なサヨナラ勝ち。ついに春連覇に王手をかけたのであった。
偉業を懸けた決勝戦は二松学舎大付(東京)との東京-大阪対決となった。この試合、PLは1番・佐藤公宏が決勝戦では初となる初回先頭打者本塁打を放つなど16安打15得点の猛攻。15‐2で圧倒し、史上2校目、戦後では初となる春連覇の偉業がここに達成されたのである。今大会、大阪桐蔭は36年ぶりとなるこの快挙に挑む。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=