今回で90回の記念大会を迎えた春の選抜だが、過去の記念大会を調べてみると、8回中6回が初優勝校だった。当然、その中には大会前には、ほぼ無印に近い評価だったチームもある。
1988年第60回大会で優勝した宇和島東(愛媛)もそんなチームの一つだった。前年秋の四国大会はベスト4で敗退。しかしながら、打力が評価されて四国の出場枠3つ目に滑り込んだのである。もちろん初出場であった。
その自慢の打線が初戦から火を吹いた。相手は同じく初出場の野洲(滋賀)。9‐0の圧勝だった。続く2回戦でも関西の強豪・近大付(大阪)を9‐3で一蹴し、ベスト8。だが、この準々決勝が最初のヤマだった。相手は前日に奇跡を起こした宇部商(山口)。0‐1の劣勢のまま、9回表1アウトまで完全試合に抑えられていたものの、そこからの逆転2ランで劇的な勝利を収めていたのだ。その勢いに押されたのか、宇和島東は2‐4と劣勢の展開で最後の攻撃を迎えることに。その9回裏。1アウト一、三塁の場面を作ると右前打で1点を返し、さらにバント安打で満塁とチャンス拡大。ここで打席に入った3番の明神毅が三塁右を破る逆転サヨナラ打を放つ。まさにミラクルチームへのミラクル返しを見せたのである。
いよいよ準決勝である。強豪・桐蔭学園(神奈川)相手に3回までに2点を先行される苦しい立ち上がり。それでも5回に1点、6回に2点を取って逆転に成功した。しかし敵もさるもので8回に同点とされ、延長戦へと突入する。その10回表裏にたがいに1点ずつを取り合うと、ゼロ行進が続いた。宇和島東にとっては何度となく訪れたピンチをそのたびにしのいでのゼロ行進だった。そして引き分け再試合も見えてきた16回表。宇和島東は1死三塁のチャンスをつかむと代打で登場した宮崎敦行が左中間へ値千金の勝ち越しタイムリー二塁打を放ち、ついに3度目のリードを奪ったのである。その裏、1死満塁のピンチを招くも、エース・小川洋が冷静に後続を断ち、5‐4。試合時間3時間36分の死闘であった。
決勝の相手は春の選抜で過去3度の優勝を誇る強豪・東邦(愛知)。宇和島東は前日の試合で小川が225球を投げ抜いているだけに圧倒的不利がささやかれたが、それを自慢の打線が吹き飛ばした。2回裏、先頭の明神の出塁をきっかけに1死満塁のチャンスをつかむと薬師神大三が左中間へ運ぶ2点二塁打で先制。さらに5回裏には6安打を集中して一挙4点。試合を決定づけた。結局、小川は東邦打線を完封し、6‐0。見事、初出場初優勝を飾ったのだ。
優勝の原動力はやはり打線だった。“闘牛打線”と名付けられたその打棒は決勝までの5試合すべてで二ケタ安打を記録。平均身長169センチと参加34校中最も低かったちびっこ集団だが、日々のトレーニングで鍛えたバットスイングは鋭く激しかった。まさに打つべくして打ち、打ち勝った優勝だった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=