これまで春の選抜で連覇を達成したのはわずかに2校。前年優勝校がその翌年決勝戦で敗れ、連覇を逃したというケースが多いが、逆に前年の準優勝からリベンジを果たし、優勝に輝いたというケースもある。1988年第60回大会での準優勝から89年第61回大会で優勝の東邦(愛知)がその代表例だが、同じ愛知県の強豪・愛工大名電もまさに東邦と同じ道をたどったことがある。2004年第76回大会で春夏通じて初の甲子園の決勝戦へと進出するも、この年初出場ながら強敵ばかりをなぎ倒してきた済美(愛媛)の勢いに屈し、5‐6で惜敗した。そこから雌伏の1年を過ごし、悲願の初優勝を遂げたのである。
05年第77回春の選抜。この年の名電は右の本格派・斉賀洋平(新日本石油)と2年生ながら4番に座る堂上直倫(中日)が投打の中心。加えて主将の柴田亮輔(元・オリックスなど)をはじめ、俊足巧打に長打力を兼ね備えた3番打者タイプの選手をズラリとそろえて、どこからでも得点出来る強みがあった。
初戦は大産大付に2‐0で勝利。4回裏にスクイズとタイムリーで2点を先制。これをエース・斉賀が守り抜いた。堂上は先制点につなげる二塁打を放っている。続く2回戦の宇部商(山口)戦も2‐0での勝利。初戦同様に4回裏に先制。2死無走者からその口火を切ったのがまたも堂上だった。チーム初安打となる二塁打で出塁し、次打者のタイムリーを呼び込んだのだ。6回裏には柴田の左翼線への二塁打をきっかけに堂上の二ゴロで追加点。斉賀はピンチの場面で2度も走者を牽制アウトにするなど、フィールディングも光った試合となった。
準々決勝の天理(奈良)戦は2点を先行されるも、4番・堂上に今大会待望の1発が飛び出して5‐2で快勝。準決勝は神戸国際大付(兵庫)との打ち合いとなったが、これを8‐6で制して2年連続の決勝戦進出を決めたのである。殊勲者は不調の先発・斉賀に変わって6回裏から2番手で登板した十亀剣(現・埼玉西武)だった。右横手から投じるキレのあるスライダーで強力な相手の中軸を打ち取り、4回を投げて相手に与えた点はわずかに1点のみだった。
迎えた決勝戦の相手は前年の済美同様に創部わずか3年目で決勝戦進出を果たした神村学園(鹿児島)。その原動力となったのが最速143キロを誇る右腕・野上亮磨(読売)である。だが、この野上の立ち上がりを名電打線が捕らえる。1回裏無死三塁から柴田の犠飛で先制した直後、4番・堂上がレフトスタンドへ一発を放ち、試合の主導権を握ったのだ。堂上は7回裏にも1死二、三塁からきっちりと左犠飛を放ち、ダメ押し。投げては前日不調だった斉賀が被安打4、9奪三振で2失点完投。9‐2で圧勝し、みごとに雪辱を果たしたのである。2年連続でやられるワケにはいかない──まさに意地の初優勝だった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=