現在まで夏の選手権での最多優勝回数は、何と7回。東海の名門・中京大中京(愛知)が誇る輝かしい成績である。同校は、同じ愛知県のライバルである東邦と並ぶタイ記録ながら、春の選抜でも史上最多4回の優勝に輝いている。
最初の優勝は1938年第15回大会。まだ校名が中京商時代の頃である。前年春の選抜で準優勝、そしてその年の夏の選手権では優勝した時のエース・野口二郎(元・阪急など)が健在で、史上2校目となる夏春連覇を狙って甲子園へと乗り込んできた。もちろん優勝候補の筆頭だ。そしてこの大会で野口は恐るべき投球内容を披露する。初戦から防府商(山口)を5‐0、海草中(現・向陽=和歌山)を4‐0、海南中(現・海南=和歌山)を2‐0。そして愛知県勢同士の決戦となった決勝戦では宿敵・東邦商(現・東邦)を1‐0。野口は選抜史上初となる全試合完封勝ちという快挙で、母校の選抜初優勝に華を添えたのである。しかもその投球内容は3安打完封に始まって、海草中戦では史上4人目となるノーヒットノーラン。さらに続く2試合は2安打完封だった。4試合で許したヒットはわずかに7本。完璧なピッチングであった。
2度目の優勝は1956年第28回大会、そして3度目が1959年第31回大会である。ともに決勝戦では隣県でしのぎを削り合ってきたライバル・岐阜商(現・県岐阜商)と対戦。前者は4‐0、後者は3‐2のスコアで勝利した。
4度目の春制覇は1966年第38回大会。エース・加藤英夫(元・近鉄)の粘り強い投球が光った。初戦でいきなり優勝候補のPL学園(大阪)と激突。これを5‐2で撃破すると、2回戦の高鍋(宮崎)との試合は4‐5とリードされていた8回裏に鮮やかに逆転し、6‐5。準々決勝の米子東(鳥取)戦は11‐2と大勝してベスト4へと進出したのだが、続く準決勝の宇部商(山口)との一戦が春の選抜史上に残る激闘となるのである。試合は3‐3の同点のまま延長戦へと突入する緊迫の展開に。そして迎えた14回表についに宇部商に勝ち越しの1点を許してしまう。しかし中京商も粘りを見せる。その裏、加藤みずからの内野安打をきっかけに満塁とするとスクイズで同点。続く15回裏にも、またも満塁のチャンスを作り、ここでセンターへのサヨナラ犠飛。現在でも春の選抜史上最長時間試合記録となっている4時間35分の死闘を制し、ついに決勝戦へと進出したのである。
決勝戦の相手は四国の雄・土佐(高知)。試合は相手エースの上岡誠二(慶大-日本鋼管)との投げ合いとなったが、中京商は3回裏に1点を先取。この虎の子の1点を守った加藤の力投で投手戦を制し、1‐0で優勝した。この瞬間、春の選抜単独最多優勝4回という大記録が打ち立てられたのである(のちに東邦も記録)。そして同年夏の選手権。もう一つの大記録をこのチームは成し遂げる。史上2校目となる春夏連覇の快挙であった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=