サッカー日本代表も、今では、W杯本選に出場するのは当たり前で、その先の成績を厳しく問われる時代になっているのは、先般のハリルホジッチ氏から西野朗氏への電撃監督交代劇を見ても明らか。しかしこれが、今から四半世紀前のJリーグ開幕当時となると状況はずいぶん違っていたようだ。
全盛期のヴェルディ川崎で活躍し、日本代表としても多くのゴールを挙げた武田修宏が、「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)に出演したのは4月1日。そこで、かつて日本中の注目を集めた“ドーハの悲劇”に関する驚きのクイズを出題した。
「“ドーハの悲劇”とは、1993年にカタールのドーハにて開催されたアメリカW杯アジア最終予選のイラク戦を指し、日本代表は終了間際、ロスタイムでの失点により2-2のドローという結末に。日本史上初のW杯出場をあと一歩のところで逃したということで、代表チームの“ここ一番での弱さ”という部分は、長年尾を引いて批判の対象になりました」(スポーツライター)
この悲劇の一戦で9番を任されていた武田は番組内で「ドーハの悲劇の頃にもらっていた1日あたりの選手の報酬はいくらか?」という興味深い難問を出題。同じくアスリートのゲストとして出演していたシンクロの元日本代表青木愛は「300万円」などと日給の額を推察する中、武田はその金額を「9000円」と明かし、あまりに低すぎる額にスタジオが驚きの声で包まれた。
「武田いわく、当時はプロリーグの制度が整っておらず、勝利ボーナスや手当を受けられない状態で“名誉のために”日の丸を背負い戦っていたとのこと。後に、ラモス瑠偉や三浦知良らが協会と交渉したおかげでようやく日給が支給されるようになったと武田は振り返りました」(前出・スポーツライター)
サッカー先進国に追いつくべく、一刻も早い大舞台での活躍、成果を求められていた当時の日本代表だが、9000円という日当が知られていたら、批判ももう少し柔らかくなったのかも知れない?
(木村慎吾)