●ゲスト:小林亜星(こばやし・あせい) 1932年、東京生まれ。慶應義塾大学在学中から音楽活動に熱中。卒業後はいったん就職するが、音楽の道へ進むため、作曲家の服部正氏に師事。レナウンの宣伝部に在籍していた妹の紹介でCMソング「ワンサカ娘」を手がけ、一躍有名作曲家に。これ以後、CMやアニメ・特撮、テレビドラマなどを中心に作曲活動を展開していく。69年、「イエイエ」「エメロンシャンプー」他のCM音楽作曲に対して、第6回放送批評家賞を受賞。また、74年にはドラマ「寺内貫太郎一家」(TBS系)で俳優デビュー。さらに80年にはクイズ番組「象印クイズ ヒントでピント」(テレビ朝日系)に男性軍キャプテンとしてレギュラー出演するなど、マルチタレントとしても大活躍した。2015年、第57回日本レコード大賞・功労賞を受賞。
「ワンサカ娘」「イエイエ」ほか数多くのCM・アニメソング・歌謡曲などを手がけた作曲家でありながら、ドラマやバラエティーにも出演するなど、あふれる才能をマルチに展開した小林亜星氏。共演した西城秀樹の思い出からプライベート話まで、天才テリーの興味は尽きない!
テリー 今日はお会いできて本当にうれしいです。僕は「寺内貫太郎一家」が大好きで、DVD全部持っているんですよ。
小林 えっ、そうなの。それは申し訳ないな(笑)。
テリー あの頃とイメージがまったく変わらないから驚きですね。当時、おいくつだったんですか。
小林 41歳です。当時は110キロぐらいありましてね。今は91キロだから、だいぶ痩せましたよ。
テリー このドラマ出演のきっかけは、何だったんですか。
小林 脚本の向田邦子さんの要望です。モデルにしているご自分の父親に似た太った役者が必要になって、数人にオファーしたけど、みんな断られちゃったんだって。で、プロデューサーの久世光彦さんが「デブなら亜星がいるじゃないか」と(笑)、当時、音楽の仕事でTBSに出入りしていた僕に声がかかったんです。
テリー だけど、亜星さんはそれまで役者なんてやったことありませんよね?
小林 ないですよ。だから最初は断ったんですけど、「セリフはほとんどないから」とか、久世さんにうまいこと言われてね。そんなの最初だけで、案の定どんどんセリフが増えていって(苦笑)、我ながら下手くそで、見るのがイヤだったなァ。
テリー でもね、そこが話し下手の職人みたいで、リアルに感じられましたよ。
小林 本当に? まァ、頑固親父の役だから、よかったのかもね。ただ、いつも取っ組み合いのケンカをしたり、家を壊したりするでしょう? それで一度、息子役の(西城)秀樹を投げ飛ばしたら、庭のところに置いてあった釘の出た板か何かに秀樹が手をついて大ケガしちゃって。救急車で運ばれたことがあったの。
テリー あららー。
小林 あの時は、女学生から手紙が山のように来て、「お前の大事なところを引っこ抜くぞ」なんて書いてあってさ(笑)、いや、あれにはマイッた。
テリー 残念ながら、西城さんは先日お亡くなりになりましたけど、亜星さんにとって、どんな人だったんですか?
小林 みんな彼の歌がうまいのは知っていると思うけど、ロックミュージシャンとしても最高の知識と腕を持っていましたね。当時は売り出す方法がアイドルぐらいしかなかった時代だから、ああいう形で人気者になったけども、もっとミュージシャンの部分を知ってもらえる機会があればよかったな、と思うんだけど。そこに関しては、ちょっともったいなかったですね。
テリー 考えてみたら、こんな豪華な顔ぶれのドラマって、今だと考えられないですよね。加藤治子さん、梶芽衣子さん、樹木希林さん、伴淳三郎さん、由利徹さん、左とん平さん‥‥。
小林 そう言われてみると男性キャストはけっこう亡くなられた方が多いね。寂しくなったなァ。