2012年の第94回夏の選手権で1試合最多奪三振22を含む計4試合で68奪三振をマークし、甲子園を沸かせた松井裕樹(東北楽天)。この時はまだ2年生ながらもすでに桐光学園(神奈川)のエースナンバーを背負っていたので、その翌年の春夏の甲子園で、さらなる活躍が期待されていた。だが、県内のライバル校から徹底マークされたこともあり、春も夏も予選で敗退。甲子園にその姿を見せることは2度となかったのである。
そして、この松井攻略に最も燃えていたのが、神奈川県が誇る強豪・横浜であった。2012年の夏の神奈川県予選。この年の準々決勝で横浜は桐光学園と対戦し、松井を攻略できず3‐4で惜敗してしまう。一方、この試合に勝利した桐光学園は甲子園出場を果たし、前述のように松井は甲子園で一躍、ヒーローとなるのである。翌年の2013年春の県大会4回戦でも、この両校は激突。しかし、横浜はこの時も松井の前に0‐3の完封負けを喫し、返り討ちにあってしまった。数カ月後には夏の甲子園へ向けて本番の県予選が始まる。横浜にとってその県予選で“3連敗”は絶対に避けたいところであった。
そして“松井裕樹対策”が生み出される。松井の代名詞である“消えるスライダー”を打つためにバッティングマシンの位置を変えたのもその一つだった。かなり高い位置から、しかも通常のマウンドとバッターの距離である18.44メートルよりも3メートル手前にして高速で落ちるスライダーを捉える練習をしていたのだ。そこに150キロのストレートも織り交ぜた。結果、“ひざ下のスライダーは全部見逃す”という結論が出たのである。
さらに横浜は松井のクセも徹底研究していた。ランナー1塁で松井がセットポジションに入って2~2.5秒以上球を持ったら、絶対に牽制球は来ない。右打者には100%チェンジアップはない。スライダーが3球続くことはない…などなど。とにかく松井を“徹底解剖”していったのである。
そして、その執念がついに実る。同年夏の神奈川県予選準々決勝で桐光学園と三たび対戦した横浜は、“三度目の正直”とばかりに3‐2で競り勝ったのだ。結果的には4番・高濱祐仁(北海道日本ハム)のソロ、2番・浅間大基(北海道日本ハム)の逆転2ランという2本の本塁打で松井を沈めた形になったが、2人が放った渾身の一打にはチーム一丸となった“打倒・松井裕樹”という一念が確かに乗り移っていたのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=