2012年の第94回夏の甲子園。その開幕前は史上7校目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭を中心に大会が展開されていくと思われていた。だが、彗星のごとく現れた2年生サウスポーが、俄然注目の的となる。桐光学園(神奈川)の松井裕樹(東北楽天)である。
松井は対戦校の各打者に“消える”と言わしめた魔球・スライダーを武器に初戦の今治西(愛媛)戦で22奪三振(1試合での大会最多奪三振記録)、2回戦の常総学院(茨城)戦で19奪三振、そして3回戦の浦添商(沖縄)戦でも12奪三振と3試合連続で計53奪三振をマーク。これまでの1大会通算奪記録である徳島商・坂東英二(元・中日)の83奪三振を追い抜く勢いで勝ち進んでいたのである。
だが、続く準々決勝でそんな松井の前にこの大会で初めての強敵が立ちはだかった。春の選抜準V校・光星学院(現・八戸学院光星=青森)である。
3番・田村龍弘(千葉ロッテ)、4番・北篠史也(阪神)を中心とする打線は大会屈指の強打を誇っており(特に田村はここまでの3試合で打率5割、本塁打1本と当たっていた)、春の選抜決勝で一敗地にまみれた大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎(阪神)攻略に並々ならぬ執念を見せてもいた。要は松井にとっては自分の実力を本当に試す意味で“骨のある”相手との激突となったワケである。
その試合の1回表。光星の3番・田村は松井の前にこの夏、青森県予選から通じて初めてとなる三振を喫した。“真っすぐだと思って振りにいったら”スライダーだったのである。これまで松井と対した常総学院、浦添商が“松井対策”を立てても打ち崩せなかったあの消えるスライダーである。当然、光星も何らかの対策を立てたものと思われたが、当の田村は試合前に「これまで当てにいくようなバッティングはしたことがない。自分たちのスタイルを最後まで貫き通したい」という強い意思をもらしていた。つまり真っ向勝負である。
続く第2打席は内角直球に詰まった二ゴロ。第3打席はジャストミートしたいい当たりがライト正面をつく不運なライナー。凡退するも徐々にタイミングが合ってきていた。だが、打線全体では松井の前に7回を終わって放ったヒットわずか3本。13個の三振を奪われ、どうしても得点が取れない。それでもエース・金沢湧紀が踏ん張り、桐光打線を無得点に抑えていた。試合は完全に投手戦となっていた。
しかし、その均衡がついに破れる時が来る。8回表、光星打線はようやく疲れの見えた松井をとらえ2死ながら一、三塁とすると、ここで打席に入ったのが3番・田村だった。内角直球にやや差し込まれながらも、フルスイング。打球はゴロで三遊間を突破し、待望の先制点が光星に転がり込んだのである。なおも2死一、二塁から4番・北篠が左中間への2点適時二塁打。光星自慢の3.4番のバットが奪三振マシーンの攻略にようやく成功した瞬間だった。そして試合はそのまま3‐0で光星の勝利に終わる。だが、敗れたとはいえ強打の光星打線から最終的に15奪三振をマークしたのは底知れぬ松井の実力、そして意地の片鱗でもあった。
この後、光星学院は準決勝も勝利し、決勝戦へと進出。そこに待ち受けていたのは予想通り、春選抜決勝の再戦となる大阪桐蔭だった。だが、松井を攻略した打線は最速153キロを計測した相手エース・藤浪の右腕の前に沈黙し、14個もの三振を献上、わずか2安打を放っただけの0‐3の完封負け。雪辱を果たすことは叶わなかったのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=