今大会6日目第3試合に登場する奈良大付。県大会決勝戦で強豪相手に10‐9の劇的なサヨナラ勝ちを収めて、念願の夏の甲子園初出場を決めた。そしてこの時対戦した天理は、奈良県勢唯一の夏の甲子園優勝校でもあるのだ。
最初の優勝は1986年第68回大会。エース・本橋雅央は県予選の始まる前から右ヒジの痛みと戦っていた。県大会準決勝の頃にはすでにその痛みには耐えられなかったという。それでもマウンドを守りチームを勝利に導いた。甲子園でも初戦から新湊(富山)に8‐4、米子東(鳥取)に7‐2と勝利し、ベスト8へと進出。ただ、その間も本橋の右ヒジの状態は刻一刻と悪化し、準々決勝の佐伯鶴城(大分)戦では4‐2で勝ったものの、2年生投手・緑川博之にマウンドを譲り登板を回避している。
準決勝の鹿児島商戦は先発したものの、7‐1とリードしていた5回途中で相手打線の反撃に遭い、KOされてしまった。もはやスピードもなければ、変化球の切れもなかったのである。それでも、ここまで3試合連続二ケタ安打中の強力打線がこの試合も、16安打と投手陣を援護して、8‐6で振り切ったのだった。ケガの功名ではないが、この本橋の故障により、天理ナインには団結が生まれていたのである。
奈良県勢として春夏通じて初めての決勝戦。その相手は天理同様に強力打線が自慢の古豪・松山商(愛媛)だった。その強打が1回裏から本橋に襲いかかり、早くも1点を失ってしまう。だが、勝利の女神は激痛に耐えてマウンドを守るエースを見捨てなかった。4回表に相手の連続暴投などで逆転すると、5回裏のピンチでは相手のスクイズを失敗させて窮地を脱した。直後の6回表には松山商の守備陣の乱れで3点目。その裏に1点を返されたものの、天理守備陣は丁寧に打たせて取る本橋のピッチングに堅守で応えた。3‐2で迎えた9回裏に一打同点のピンチを招いたが、この場面でも狙い通りの三塁ゴロ。天理自慢の打線は8安打と少なかったが、最後は全員で守り勝ったのである。
こうして傷だらけのエースによって奈良県勢初の甲子園優勝が成し遂げられたその4年後。90年第72回選手権で天理は夏2度目の全国制覇を果たす。前回の教訓を生かし、189センチのエース・南竜次(元・日ハム)と190センチの2年生・谷口功一(元・読売など)という大型右腕2枚をそろえた強力な投手陣だった。初戦で愛工大名電(愛知)を6‐1で一蹴すると、2回戦の成田(千葉)戦は1‐2からの9回裏に3安打を集中しての逆転サヨナラ勝ち。3回戦の仙台育英(宮城)戦は南が4安打完封の6‐0、準々決勝の丸亀(香川)戦は南ー谷口の完封リレーで7‐0とほぼ完勝の形でベスト4へと進出する。
準決勝の西日本短大付(福岡)は苦戦したものの、4‐4の同点で迎えた9回裏に今大会2度目のサヨナラ劇を演じ、ついに夏の甲子園2度目の決勝戦へと駒を進めたのである。
決勝戦は、甲子園春夏通じて県勢初の決勝戦進出で盛り上がる沖縄水産が相手。試合は天理の南、沖水の神谷善治という両エースの投げ合いとなったが、4回表に中犠飛で挙げた1点を南が守り切った。特に9回裏は1死二塁という一打同点のピンチを迎え、場内も沖水同点への期待の声援が高まる中、最後の打者の左翼線への大飛球を大ファインプレーでアウトにし、栄光へと飛び込んだのだ。
奈良県勢として2度の夏制覇を果たした天理を破って甲子園出場を果たした奈良大付。果たして甲子園で大暴れなるか。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=