桑田氏は、高校時代には指導者からの体罰がなかったことで野球選手として「いちばん成長した」と述べているが、やはり上級生からの体罰には悩まされていたようだ。
桑田氏が受けた仕打ちに関しては、本人の口からではなく実父の泰次氏(故人)が明かしていた。00年に上梓された著書「野球バカ」(講談社刊)にこう記されている。
〈ある上級生は、真澄に夜中じゅうマッサージをさせていた。(中略)自分も練習で体がクタクタなのに、毎日、午前二時、三時までマッサージをやらされる。(中略)木製のトイレのげたで肩や足をバンバンたたかれたりもしたそうだ。顔を殴ると(中略)バレてしまうため、衣服で隠れるところを集中的にたたいたり、踏みつけたりしていたという〉
もっとも、桑田氏はこうした苦難を乗り越えてプロの世界でも大成したから救われる。
ところがPL学園では、上級生のシゴキによって悲しい結末を迎えた“事件”も起きていたというのだ。
桑田氏には、同じ野球部の2学年下に実弟・泉氏も在籍していた。他にも、立浪和義氏、片岡篤史氏、橋本清氏、野村弘樹氏といった強力なメンバーがそろい、3年時に春夏連覇を成し遂げた黄金世代である。
KKコンビらが卒業した翌年の忌まわしい出来事について、同著にはこう書かれている。
〈夏の地区予選がはじまる直前、泉と同じ二年生だったMくんがPL学園の施設内にある池で溺おぼれ死んでしまった。Mくんが死んだそもそもの原因は三年生のいじめにあった。(中略)この一件は、当時の新聞でも報じられた。ただし、あくまで事故死ということで処理され、いじめがあったことについてはまったく触れられることはなかった。(中略)泉たち二年生は、寮の前に座りこんで三年生に対する抗議の意志を表明した〉
PL学園の隠蔽疑惑までをも暴露する衝撃的な記述である。
3年生がわざとスリッパを池に放り投げて、
「池に飛び込んで、スリッパを拾ってこい」
と、Mくんに命令したのだという。
そのとおりに実行したMくんは、水中に潜ったきり上がってこなかった。
さすがに慌てた3年生は、事件当時にたまたま現場近くにいた泰次氏に助けを求めたそうだ。
泰次氏はレスキュー隊を呼び、無事を祈ったが、池から引き上げられたMくんは、二度と息を吹き返すこともなく、心臓マヒで水死したという。