1995年1月17日。この日発生した阪神・淡路大震災からの復興の象徴として「がんばろうKOBE」を合言葉に、シーズンを戦ったオリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)。結果、みごとにパ・リーグ制覇を達成したのだが、その後に行われた日本シリーズでは名将・野村克也率いるヤクルト・スワローズの前に1勝4敗と完敗。惜しくも日本一には手が届かなかった。
そのリベンジをかけて戦った翌96年のシーズンは、前半戦の5ゲーム差を後半戦の驚異的な追い上げで逆転。最後はチームの主軸・イチローのサヨナラ安打で前年には果たせなかった本拠地胴上げとリーグ2連覇を達成した。こうして前年に逃した“日本一”への挑戦権をふたたび手にしたオリックスは、最後の栄光をかけて日本シリーズへと挑むこととなる。
その対戦相手は“ミスター”長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツ。この年、広島東洋カープに最大11.5ゲーム差をつけられたものの、奇跡の逆転でリーグ制覇し、いわゆる“メークドラマ”を完成させていた。どちらも逆転でリーグ優勝をしているだけに、事前の勝敗予想はほぼ五分五分であった。だが、シリーズは初戦から意外な展開を見せることとなるのである。
東京ドームで行われた開幕戦を制したのはオリックスだった。試合は7回を終わって1‐0と読売が僅差のリード。だが、8回表にオリックスはニールの2点タイムリーなどで3‐1と逆転に成功する。粘る読売も9回裏に代打の大森剛がオリックスのリリーフ陣の一角・鈴木平から起死回生の同点2ランを放ち延長戦へと突入。迎えた10回表に、この試合徹底マークされ4打席すべて凡退していたイチローのバットが火を吹き、決勝のソロ本塁打。4‐3で接戦を制したのである。
続く第2戦もオリックスが連勝する。0‐0の4回表にニールの2点タイムリーで先制すると、この2点を先発のフレーザーから小林宏、野村貴仁、鈴木平という小刻みな継投で守り切り、2‐0。投手戦を制したのだった。
グリーンスタジアム神戸に舞台を移した第3戦もオリックスが読売を圧倒した。1回裏に5番のD・Jのセンター前タイムリーで1点を先制すると2回裏には1四球に4本の長短打を絡めて一挙に4得点。読売先発のガルベスをKOし、完全に試合の主導権を握ったのである。対する読売は2本のソロ本塁打で2点を返すのがやっと。投打に圧倒したオリックスが5‐2で快勝し、開幕から無傷の3連勝で一気に日本一に王手をかけたのである。
いよいよ追いつめられた読売。だがここは“メークドラマ”でリーグ優勝を果たしたチーム。おめおめと負けるにはいかなかった。第4戦は7番で指名打者に入った大森がソロ本塁打1本を含む3打数2安打の活躍を見せるなど、下位打線で5打点を挙げ、投げては先発の宮本和知から4人の継投でオリッックスの反撃を1点抑え、5‐1で快勝。ようやくこの年のシリーズ待望の初勝利を挙げたのだった。
それでもまだ3勝と有利な状況は変わらないオリックスだが、不安もあった。監督の仰木彬が近鉄バファローズを指揮した1989年の日本シリーズで、同じ読売相手に3連勝から4連敗を喫した過去があったからだ。
第5戦。その不安通りに試合はオリックスが2回裏の無死三塁の大チャンスを逃すと直後の3回表に読売に1点を先制されてしまう。だが、その裏にオリックスは2死満塁のチャンスをつかむと4番・ニールが逆転の2点タイムリーツーベースを放つなど一挙5得点。一方の投手陣は4人の継投で読売に2点しか許さなかった。最後は今シリーズ4度目の登板となった鈴木平が日本シリーズ記録となる4セーブポイント(1勝3セーブ)を挙げ、5‐2で勝利。「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げて戦ってきたナインとファンの2年越しの夢がここに結実したのである。同時にそれは本拠地・グリーンスタジアム神戸での涙の日本一の胴上げが叶った瞬間でもあり、過去2回日本シリーズで敗退していた仰木監督は監督として“3度目の正直”で初の、さらに球団としても初(前身の阪急ブレーブスからだと19年ぶり4度目)の日本一が成し遂げられた瞬間でもあったのである。
(野球ウォッチャー・上杉純也)