元号が昭和から平成に替わった1989年。この年に行われた日本シリーズは、同時に第40回の節目のシリーズでもあった。
対戦カードは読売ジャイアンツ対近鉄バファローズ。読売は藤田元司監督が2度目の監督に就任したその1年目で、2年ぶりのリーグVを奪回。一方の近鉄は前年のいわゆる“10.19決戦”のリベンジを見事果たし、9年ぶりに日本シリーズの舞台へと駒を進めてきたのであった。
戦前の予想では読売が優位とする声が圧倒的だったが、終盤における僅差の優勝争いを制したペナントレースの余勢をかった近鉄が、初戦から予想外の強さを発揮した。
近鉄の本拠地・藤井寺球場で迎えた第1戦は、読売が斎藤雅樹、近鉄が阿波野秀幸という、この年のリーグ最多勝2人が先発。試合は読売が岡崎郁の2ランなどで中盤まで3‐1とリードするものの、近鉄が6回裏に鈴木貴久の2ランで同点とすると、7回裏には新井宏昌が勝ち越しタイムリーを放って逆転。この1点のリードをエース・阿波野が完投勝利で守り切って先勝したのだった。
第2戦は2‐2の同点で迎えた7回裏に近鉄が読売先発の桑田真澄から二死満塁のチャンスをつかむと、4番のリベラが走者一掃となるタイムリー二塁打を放って勝ち越し。結果、6‐3で勝ち、2連勝を飾ったのだった。
東京ドームに舞台を移して行われた第3戦でも、近鉄の勢いは止まらない。初回に3番・ブライアントのタイムリー二塁打で先制すると2回表には光山英和に2ランが飛び出し3‐0。この3点を先発の加藤哲郎から村田辰美、吉井理人とつないで完封リレー。何と初戦からの3連勝で日本一に王手をかけたのである。
そしてこの試合終了後のヒーローインタビューでちょっとした事件が起こる。勝利投手となった加藤の発言である。いわく「巨人はロッテよりも弱い」。この発言に読売ナインが発奮した…という逸話が広く知られているが(球団史では当時のヘッドコーチだった近藤昭仁の『ロッテより弱いと言われ、お前ら悔しくないのか』というハッパが効いたとの記述がある)、続く第4戦で読売ナインが開き直ったのは事実だった。
この絶体絶命の試合で先発に指名された香田勲男が近鉄打線を散発の3安打に抑えて5‐0。三塁を踏ませぬ完封劇を成し遂げたのである。この初勝利で一気に勝負の流れが読売に傾いて行く。
第5戦は2‐1と読売がリードした7回裏の攻防が勝負のポイントとなった。2死一、三塁のピンチを招いた近鉄は4番・クロマティを敬遠し、5番・原辰徳との勝負を選択する。原はこのシリーズに入ってから18打数無安打と不振だったため、当然の選択と思われたが、これが裏目に出てしまうのだ。近鉄の2番手・吉井から今シリーズ初安打となる満塁本塁打を放ったのである。投げてはエース・斎藤が初戦の借りを返す4安打完投勝利。こうして3連敗からの2連勝で、勢いは完全に読売のものとなったのだった。
そして、舞台を再び藤井寺球場へと移して行われた第6戦。3番・篠塚利夫の逆転2点タイムリーなどで3‐1と勝利し、ついに逆王手をかけたのである。
雌雄を決する第7戦でも、絶好調だった駒田徳広の先制ソロを筆頭に4本のアーチをかけ、8‐5で勝利。史上3度目となる3連敗からの4連勝で逆転の日本一を成し遂げたのだった。
なお、このシリーズのMVPには最後の試合で先制ソロを放った駒田に輝いているが、その相手投手が因縁の加藤だったこともあり、万歳しながらダイヤモンドを回り、「バーカ!」と叫んだ姿は語り草となっている。
一方で、シリーズの流れを変えたとされる近鉄・加藤の発言だが、実は「ロッテより弱い」とは発言していない。要約ではあるが、以下のような趣旨の発言であったのだ。
「まぁ、打たれそうな気はしなかったので、たいしたことなかったですね。シーズンのほうがよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし」
これが各種メディアで「最下位ロッテより弱い」というように報道されてしまったのが事実なのである。
(野球ウォッチャー・上杉純也)