2003年の日本シリーズはある意味、非常に珍しい結果となった。
その対戦カードは1985年以来18年ぶりにセ・リーグ覇者となった阪神タイガース対00年以来3年ぶりにパ・リーグ王者に返り咲いた福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)という顔合わせ。阪神は就任2年目の星野仙一監督が3番の金本知憲を中心とする強力打線を完成させ、投手陣では井川慶が20勝を挙げるなど、快進撃で優勝を達成。対するダイエーも松中信彦を筆頭とする“100打点カルテット”と呼ばれた脅威の攻撃力と機動力、安定した投手力でペナントレースを勝ち進んだ。どちらのチームも投打ともに充実しており、好勝負が期待されたのだった。
注目の初戦は福岡ドームで開幕し、阪神が井川、ダイエーが斉藤和巳というシーズン20勝投手同士が先発。当然、投手戦が予想されたが、点の取り合いとなり、結果的に4‐4で迎えた9回裏にズレータが左中間へサヨナラ安打を放ち、まずはダイエーが先勝する。
続く2戦目はダイエーの超強力打線が爆発。2回裏に6番・バルデスからの6連打で4点を奪って試合の主導権を握ると、7回裏にはズレータが、8回裏にはバルデスが、ともに3ランを放つなど16安打13得点の猛攻で阪神を圧倒。13‐0という、日本シリーズにおける最多得点完封試合でダイエーが連勝発進を飾ったのだった。
ここまでの2戦を終えて“ダイエー強し”という印象を強烈に残したこの年の日本シリーズ。だが、ここから舞台を甲子園球場に移した第3戦以降にシリーズの流れが一変することとなる。ダイエーが一気に王手をかけるか、それとも阪神が盛り返すか。注目の第3戦は阪神がムーア、ダイエーが和田毅という両左腕が先発。試合は1回表にダイエーが3連打で1点を先制すると、負けじと阪神も4回裏に金本がソロ本塁打を放ち、同点に追いつく。そのまま両軍投手が踏ん張り、今シリーズ初の延長戦へと突入。10回裏に1死満塁のチャンスをつかんだ阪神は星野監督の鼓舞を受けて打席に向かった藤本敦士がセンターへ犠牲フライを放ち、2‐1でのサヨナラ決着。ついに苦しんでいた阪神が息を吹き返したのである。
続く第4戦。阪神は連勝で対戦成績をタイに戻したいところである。そのもくろみ通り、初回に4番・桧山進次郎の2点タイムリー二塁打などで3点を先制。中盤まで4‐1と試合を優位に進めるが、7回表に2四死球に4本の長短打を集めて一気に同点とすると続く8回表にエラーで勝ち越し。だが、負けじと阪神もすかさずその裏にアリアスのタイムリーで5‐5の同点。そしてそのまま、2日連続の延長戦へと突入したのである。
そして迎えた10回裏。1死無走者から3番・金本が右翼席に劇的なサヨナラ本塁打を放ったのだ。日本シリーズで同一チームが2度サヨナラ勝ちしたケースは83年の西武対読売戦の読売と、92年の西武対ヤクルト戦でのヤクルトという2チームが過去にあったが、同一チームの2試合連続でのサヨナラ勝ちはシリーズ初の出来事だ。
こうして2試合連続で劇的な勝利を収めた阪神に流れが傾き、第5戦も1‐2とリードされた6回裏に2死満塁から桧山がレフト前へ2点タイムリーを放ち、阪神が3‐2と逆転。この1点差を5人の投手による小刻みな継投で守り切って,本拠地・甲子園球場で3連勝。ついに日本一へ王手をかけたのだった。
4連勝で阪神の日本一か、それとも崖っぷちからのダイエー逆王手か。注目の第6戦は1回裏に3番・井口資仁の2ランで先制したダイエーが終始、試合の主導権を握り、5‐1で快勝を収めることに。こうして両軍とも3勝3敗となり、ついにシリーズは93年以来10年ぶりに最終戦へと突入したのである。
その最終決戦はあっけなかった。初回にダイエーは松中の二塁打で2点を先制すると、3回裏には井口の2ラン、城島健司のソロで3点を追加。投げては先発の和田が2失点完投勝利を収め、6‐2で勝利し、ダイエーとしては4年ぶり2度目、前身の南海ホークス時代から通算すると4度目の日本一に輝いたのである。
なお、このシリーズは勝利投手に輝いたのが全試合とも左腕であり、かつ全試合ホームチームが勝利する“内弁慶シリーズ”という希有な記録が生まれたシリーズなった。ちなみに“内弁慶シリーズ”となったのは現在まででこの一例のみだが、勝ち星と負け星を交互に繰り返して4勝3敗で決着した日本シリーズはまだない。
(野球ウォッチャー・上杉純也)