1993年の日本シリーズは、平日のデーゲームで試合が行われた最後のシリーズである。その顔合わせは前年に続いてヤクルトスワローズ対西武ライオンズ。ヤクルトの監督は野村克也、対する西武の監督は森祇晶。両軍とも捕手出身の名将対決ということも注目されたが、特にヤクルトは前回、第7戦にまでもつれたすえの惜敗ということもあり、チーム全体に“雪辱を果たそう”とのムードが高まっていた。
その強い思いを胸に西武ライオンズ球場へと乗り込んだヤクルトは初戦、2戦目とビジターで連勝を飾る。初戦はいきなり初回に5番・ハウエルに3ランが飛び出すなど、西武先発の工藤公康を2回でKOし、8‐5で勝利。
続く2戦目も1‐2で、迎えた3回表に4連打で西武先発の郭泰源を攻略し、4‐2と逆転に成功。結果、5‐2で逃げ切り、上々の連勝発進となったのだ。
舞台を神宮球場へと移して行われた第3戦は、西武が王者の意地を見せた。3回表に田辺徳雄の3ランなど打者10人を送る攻撃で6点を先制。投げては先発の渡辺久信が8回途中まで2失点の好投を見せ、7‐2で快勝したのである。
こうして3戦目を終えてヤクルトの2勝1敗となったことで、次の第4戦が大きな意味を持つこととなった。王手をかけるか、2勝2敗のタイに持ち込むのか。その重要性がわかっているだけに、試合は僅差の、そして緊迫の展開となったのだった。注目の先発投手はヤクルトが川崎憲次郎、西武は石井丈裕。この2人が手に汗握る投手戦を展開したのである。
試合は4回裏にヤクルトが1死満塁から、池山隆寛のライトへの犠牲フライで1点を先制。この虎の子の1点を川崎の力投で必死に守り切っていく。対する西武も石井のあとに鹿取義隆、杉山賢人、潮崎哲也の救援トリオを投入し、ヤクルトの追加点を阻止。そして迎えた8回表の西武の攻撃で一世一代のビッグプレーが飛び出すこととなるのである。2死ながら一、二塁のチャンスをつかんだ西武は、ここで鈴木健がセンター前へと弾き返した。この打球を見て二塁ランナーの笘篠誠治は敢然と同点のホームを狙ったのだが、前進守備を敷いていたヤクルトのセンター・飯田哲也が素早く処理し、バックボーム。本塁で笘篠をみごとタッチアウトにし、同点を阻止したのである。続く9回にヤクルトはストッパー・高津臣吾を投入して継投による完封勝ちを達成。3勝1敗として前年の雪辱まであと1勝としたのであった。
だが、王手をかけられた西武も黙っていなかった。’86年の日本一以降、日本シリーズに6度進出してすべて日本一に輝いている王者がここから反撃を開始したのである。
第5戦は2‐1で迎えた9回表に鈴木健の満塁本塁打が飛び出すなどして7‐2で勝利。
再び西武ライオンズ球場へと舞台を戻した第6戦でも4回裏の1死満塁から秋山幸二の満塁本塁打で4点を先制すると、先発の郭から必死の継投で終盤のヤクルトの追撃を振り切って4‐2で辛勝。土壇場からの連勝で逆王手をかけ、ついに最終決戦を迎えることとなったのである。
運命の第7戦。試合は西武が渡辺久信、ヤクルトが川崎の先発で始まった。そして初回から試合が動く。広沢克己の3ランでいきなりヤクルトが先制したのだ。その裏の西武も清原和博の2ランで反撃。ところがここから両先発が踏ん張り2回以降はゼロ行進が続いた。結果、8回表に1点を追加したヤクルトがその裏から登板した高津の無失点救援もあり、4‐2で勝利。高津はこのシリーズ3セーブ目。これは日本シリーズの新記録でもあった。
こうして4勝3敗で前年の雪辱を果たし、15年ぶり2度目の日本一に輝いたヤクルト。MVPには2勝を挙げた川崎が選ばれたが、前年と同じ対戦カードで勝者と敗者が入れ替わった初めてのシリーズとなった。また、野村監督にとっても監督として初の日本一であり、パ・リーグ一筋の選手が監督としてセ・リーグの球団を日本一にした最初の、そして現在でも唯一のケースとなっている。付け加えると、さらに日本シリーズで6連勝中と負け知らずだった森西武をついに倒した歴史的快挙でもあった。
(野球ウォッチャー・上杉純也)