だが、二人の過去のプロフィールをひもといても、宝塚出身で女優としての王道を歩んできた天海と、モデルから下積みを送ってきた叩き上げの米倉に、共演した過去を発見することはできない。
いや、二人は05年に放送の「女の一代記」(フジテレビ系)で相まみえていたのだ。といっても、ドラマの中の出来事ではない。当時を知る芸能記者によれば、
「もともと『女の一代記』は3夜連続の特別ドラマで、放送される日によって主役が変わるオムニバス形式でした。第1夜は宮沢りえ(46)、第2夜は天海、第3夜を米倉が務めましたが、ドラマ内での共演はありませんでした。しかし、番組完成後に都内のホテルで行われた記者会見に、天海と米倉が同席。それぞれ100万円を超える高級ブランドのドレスを着て話題になりました。この時に仲よくなったようで、メル友になって、お互いの舞台を見に行くようになったんです。13年に天海が軽度の心筋梗塞で入院した時も、米倉は相当心配していましたね」
実に、二人の「SMっぽい」関係は、かれこれ14年にも及ぶのだ。さらに「親分」との距離が急接近したのは芸能界最大派閥の「小泉会」が橋渡しをした、ともっぱら言われている。
約9年前に小泉今日子(53)を中心に集まった飲み会で、ドラマ共演で仲よくなった番頭格の飯島直子(51)をはじめ、内田有紀(43)、長澤まさみ(31)、水川あさみ(35)ら豪華メンバーが顔をそろえていたのだ。
「先に小泉会に在籍していた幹部クラスの米倉が約5年前に連れてきた天海も、メンバー入りしました。天海は酒が弱くて、いつも紹興酒2杯で顔が真っ赤に。片や米倉は酒が入ると泣き上戸になって、恋愛や仕事の相談をしながら号泣するので、小泉に『泣いてんじゃねえ』とひっぱたかれることも。朝方になると小泉も米倉もベロベロになっているので、天海が介抱する役割を担っていました」(芸能プロ関係者)
この「小泉会」での米倉に対する天海の献身的な態度を見た目撃者が、両者の関係を怪しむのも無理はないほどの仲だったという。
だが、鉄の結束を誇っていた小泉会に異変が起きたのは、18年2月のこと。小泉が事務所から独立したことをきっかけに、解散騒動に発展する。
「女優を休業後、プロデュース業に専念していて、事務作業など雑務で忙しくなってしまった。そこで小泉は『これからはヨネが引っ張ってほしい』と米倉に託したんです」(芸能プロ関係者)
小泉会消滅後、米倉は事務所の後輩や「ドクターX」の俳優仲間を集めた「米倉会」を結成。小泉が会を離れる中、「親分」と慕う天海との交遊はますます深まるのだった。