昨年の秋口に、長嶋邸を訪れたという、元ニッポン放送アナウンサーで、長嶋氏とは50年来の交流があるスポーツコメンテーターの深澤弘氏が明かす。
「倒れた当初はどうしても動かしづらそうだった口元が自由に動いていた。そのことをご本人に告げると、『ホント? ホント?』とうれしそうで、『自分の顔は毎日見ているから、わからないからね』と話していました」
長嶋氏が相当に体を動かしているとの事前情報を得ていた深澤氏が、
「何でそこまでやるんですか?」 と尋ねると、長嶋氏からは、
「やっぱり、リハビリ以外にも鍛えておかないと」
との、実に意欲的な返答があったという。
「担当医師からも、『やりすぎて、いい個所まで痛めてしまうのでは』と心配されたそうですが、『悪くなるかどうかは自分がいちばんよくわかっているよ』と、気丈に話していましたね」(深澤氏)
しかし、現在に至るまでの闘病生活については、こんな本音を吐露したという。
「長嶋さんは『最初はね、泣きたくなるほどつらく、痛かった。半端なもんじゃなかった。でも、リハビリはマストでしょ? だから続けたの』と話していました。そしてそれを越えて、『今ではスポーツ感覚で楽しんでいるよ』とも付け加えたんです」(深澤氏)
番組では、そんな闘病生活の全貌を克明に伝えている。倒れた当初は、担当医師から家族に、
「寝たきりも覚悟してください」
という悲痛な通告がなされたという。
そこからの出発である。
長嶋氏には、病院から3人もの担当スタッフが付き、騒ぎにならぬよう、病室のプレートに偽名を使用するほどの厳戒態勢の中、当時の長嶋氏には、8月に控えていた、「アテネ五輪野球日本代表監督への復帰」という、揺るぎない目標があった。
入院から5日目、
「ヨーグルトが食べたい」
と、看護師にみずからリクエストを出すと、長嶋氏は慣れない左手でスプーンを持ってそれを完食。「おかわり」までしたという。
その日から、長く厳しいリハビリ生活が始まった。
最初は、右手のひらさえ動かすことができなかった。
が、1週間で立ち上がることに成功すると、2週間目には支えられながらではあるが、ベッドの周りを歩いたのだ。スタッフたちはその驚異的な回復力と強靭な肉体にあらためて驚いたという。
そして番組では、直近3年のリハビリの様子を映した映像を放送した。
冒頭の映像の他にも、両脇をベルトで支えながらランニングマシンに取り組む姿があった。かと思えば、
「ハイ、行こう」
という掛け声とともに腕の筋力を鍛えるマシンと格闘する。さらには、右腕にビニール製のギプスを装着して、やはり「イチ、ニー、シャン、シー、ゴー‥‥」と、数を数えながら歩行する姿もあった。
「フゥ~」
と大きな息を吐き、さまざまな体勢を取りながら、リハビリは続いていく。
スタッフたちは、つらそうな顔や、愚痴を一切こぼさない長嶋氏の姿に、感動すら覚えたという。
番組は、長嶋氏が、
「リハビリはウソをつかない」
と自分に言い聞かせながら、現役時代同様に闘志を燃やして後遺症と闘ってきたことを伝えた。