まさかの展開だった。それまで夏準優勝1回、春優勝1回を誇る名門校が、野球弱小県から出場した無名の初出場校に大差をつけられていたからだ。7回を終わって0‐7。勝負は決まったも同然だった。
それは1993年第75回夏の選手権2回戦、徳島商対久慈商(岩手)の一戦。もちろん名門校は徳島商であり、初出場校が久慈商のことだ。しかも徳島商のエースは、のちにプロ野球の中日ドラゴンズのエースとして君臨し、メジャーでも投げた川上憲伸。
対する久慈商は、今でこそ花巻東や盛岡大付などの甲子園強豪校が知られているが、当時は甲子園で1回勝てばいいほう、というようなチームばかりだった岩手県の代表校。甲子園の戦い方を熟知している徳島商が久慈商を一蹴するというのがほぼ大半の高校野球ファンの戦前の見方であった。
だが、その様相が試合開始直後に一変する。1回表、久慈商は徳島商のショート・横手照生のエラーをきっかけにチャンスをつかむとスクイズを敢行。この打球処理を焦った川上が本塁へ悪送球して1点を先制。なおも、2者連続の適時打で初回に3点を挙げたのである。かたや名門校とは言っても、この時の徳島商はナイン全員が初めての甲子園。しかも日程の関係で初戦まで間が空いたこともあり、試合勘が戻りきっていなかったのかもしれない。その裏、先制点に気を良くした久慈商のエース左腕・宇部秀人がすんなりと徳島商打線を抑えたことで、試合は完全に久慈商のペースとなっていく。
その後も久慈商は川上を打ち込み、2回に1点、5回に2点、そして7回に1点を追加。先制・中押し・ダメ押しと理想的な試合運びを見せていく。投げては宇部が小柄ながらもバランスよく速球と変化球を投げ分け、7回まで散発5安打の無得点ピッチング。
しかもこの日はお盆期間真っただ中の8月15日。両校や両県の関係者以外にも甲子園を楽しみたい高校野球ファンが多く詰め掛けており、こうした観客の多くが甲子園名門校を相手にのびのびと躍動する久慈商ナインに大きな歓声をあげることとなったのだった。
そんな久慈商の中に1人、不安を感じる選手がいた。ほかならぬエースの宇部である。県大会6試合50イニングを1人で投げ抜いた左肩に、3回ごろから違和感があった。一見すると快調な投球も、実は回を追うごとに球が上ずり始めているのを実感していたのである。そしてその不安が現実のものとなってしまう。
8回裏の1死後、徳島商の2番・高松の左中間二塁打で口火が切られる。そこから川上の中越え二塁打を含む長短6連打でたちまち4‐7と3点差に詰め寄られたのだ。すると球場内の風向きが変わる。さっきまで久慈商ナインに声援を送っていた大観衆が、この怒濤の反撃に大盛り上がり。もはや球場全体が徳島商ナインを後押しする状況となっていたのである。
かたや守る久慈商ナインは完全に浮き足だっていた。2死を取ったものの、代打の真鍋博に一、二塁間を破られる。さらに1番・利光恵司が放ったレフト正面へのライナー性の当たりだった。この打球を捕ろうと突っ込んだ左翼手・村田和幸が折からの雨で濡れた芝生に足を滑らせて転倒するという不運に見舞われ、三塁打にしてしまった。
ついに7‐7の同点となったのである。この後のピンチは何とか抑えたものの、9回表の攻撃を、これまでの乱調がウソのように勢いを取り戻した川上にわずか6球で片づけられてしまっては、もはや試合は決まったも同然だった。
迎えた9回裏。徳島商は相手エラーと内野安打で1死一、二塁とすると6番・平山貴郎のバットがこの日、宇部が投じた151球目のスライダーを捕らえる。左中間を深々と破っていく白球。大逆転劇の完成であった。
この奇跡の大逆転のあと、徳島商はベスト8まで進出した。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=