「不良性」と「女たらし」を打ち出し、独自の味わいで看板スターになった。さらに梅宮辰夫は、テレビの世界でも「兄貴分」の立ち居振る舞いで、新たな魅力を開花。東映の武骨な役者としては、茶の間にも温かく受け入れられた稀有なタイプである。そして今、次々と襲う疾患と“対マン”を張っている。
「昭和の映画スターが皆無のような状態になり残念です。寂しいです。今は詮ないことです。どうか、そちらの世界でもお元気で」
2月28日、青山斎場で行われた安藤昇の「お別れの会」で、遺影に語りかける梅宮辰夫(78)を見た筆者は、その弱々しい声と、歩行補助器にすがる姿に呆然とした。本来ならば外出すら許されない状態で、それでも梅宮は、多くの安藤主演作に出演した義理から献酒の挨拶に立った。
だが、その義理堅さは梅宮を尋常ならざる事態に追い込む。参列のために入院を2日ほど先送りにしたため、肺炎、心不全、腎不全など8つの合併症が出て、生死の淵をさまようことになる。
「意識を失っているようなものだから俺はわからなかったが、妻とマネージャーは医者に『今夜がヤマ』と言われたそうだ」
梅宮は6月に出演した番組で、余命宣告の危機であったことを明かした。梅宮と50年来のつきあいになる映画監督・内藤誠は、直後の4月にCS番組で梅宮と顔を合わせている。
「僕の顔を見るなり『冷てえじゃねえか』って言うんですよ。わざと『何で見舞いに来てくれなかったんだよ』って。それは梅宮のいつもの言い方で、自分のことになると病院がどこかも教えない。その代わり、弟分だった安岡力也が入院すると、映画のトークショーのギャラを『俺はいらないから見舞い金に持って行ってくれ』と言うような男なんだ」
内藤は監督として一本立ちした「不良番長 送り狼」(69年、東映)から梅宮と本格的に組むようになった。梅宮にとって全16作も続いた「不良番長」は、どんな作品よりも愛着がある、自身の代名詞と公言する。
当時、梅宮は二枚目俳優として期待されながら、日の目を見ない状態。それならばと岡田茂社長が、日常の梅宮と同じ「女たらし」の役で主演企画を立てた。
梅宮の主演作は、鶴田浩二や高倉健の任侠作品の併映になることが多かったが、二本立ての看板にはこんな惹句(じゃっく)が使われた。
〈男を泣かせる鶴田、女を泣かす梅宮〉
こうした扱いにも、むしろ梅宮は生き生きと取り組んでいたという。さらに、内藤が撮るようになってからレギュラー入りした山城新伍の存在も大きかった。
「最初は梅宮に『何であんなヤツを呼んだんだ!』と怒られたよ。新伍のメチャクチャなパワーのせいで、『不良番長』が完全なコメディ映画になっちゃったから。ただ、そのうち2人は抜群のコンビになって、その後の『帝王シリーズ』(70~72年、東映)でも組ませるようにと会社から指名されていた」
内藤は役柄よろしく、山城や力也、渡瀬恒彦を引き連れて六本木を飲み歩く梅宮の“番長ぶり”を観察した。飲めば暴れる若手の役者もいたが、それを抑えるのは梅宮番長の役目だ。
さらに、大阪・天王寺のキャバレーでスタッフ一同に大盤振る舞いする姿も目撃した。
「梅宮に『大変じゃない?』って聞いたら『いや、大丈夫だ』って言う。そのうち、ステージに立って梅宮が歌い出したんだけど、それで飲み代くらいのギャラが出ると。そこはしっかりしているなと感心したよ」
映画を地で行く不良たちの青春だった。