MLBでも活躍した元プロ野球選手・イチロー氏が、本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に登録名を変更したのは、1994年のこと。当時、オリックスの一軍打撃コーチを務めていた新井宏昌氏が、イチロー氏の才能を見抜き、特別感を演出するために考案し、故・仰木彬監督の理解を得て実現となった。
さて、主に西武ラインズで活躍、2008年の北京五輪では野球日本代表招集を受けた実績も持つ元プロ野球選手、G.G.佐藤氏は、外国人でもハーフでもなければ、本名は「佐藤隆彦」で、どこにも「G.G.」の片鱗はないのだが、どんな理由で、誰が命名したのだろうか?
西武、巨人で活躍した元プロ野球選手・大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に佐藤氏が出演した投稿回でその疑問についての「答え」が明かされていた(12月13日付け)。
何と、そのそもそものきっかけは、野村克也監督の妻、沙知代さん(夫婦ともに故人)だったという。中学時代、沙知代さんがオーナーを務めていた少年野球チーム「港東ムース」に在籍していた佐藤氏。沙知代さんから初対面で「ジジくさいな…」と、老け面を指して言われたそうで、以後、ついたあだ名は「ジジイ」。
大学卒業後、マイナーリーグのフィラデルフィア・フィリーズ1Aに入団した際、「あだ名がジジイだから、『G.G.佐藤にしろよ』って格好よくしてくれたのが団さんなんです!」と、交渉代理人を務めていた沙知代さんの長男・団野村氏の命名であったことを明かした佐藤氏。
この回では他にも、練習に訪れた野村監督から「念ずれば花開く」「鈍感は最大の敵」といった言葉を授けられたことも明かされた。
野村一家の恩恵を受けて野球人「G.G.佐藤」氏は完成したのだとわかる、興味深い回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)