谷繁の姿を、監督時代の8年間を共に過ごしてきた落合GMが、「谷繁は目先のことだけで野球をやっていない。常に一歩先を読んで野球をやっている。投手をリードするにしても思い切って内角を要求したり、勝負をさせたりしている。勝負の先読みをしながら布石を打っているのは、さすが捕手だな」と、手放しで称賛したことがある。
つまり、勝ちにこだわりたくなる初戦の相手にも、先読みの布石が打てる谷繁の大局観にホレ込んだからこそ、落合GMは監督に推したのだ。
谷繁は常々、捕手である自分が「守りのうえでは監督の分身である」と自負していた。監督は、野手の布陣を決めることはできても、守備の際には一切手出しはできない。あくまでも、守りは捕手のリードいかんであることを誰よりも自覚していた。それが、「ゼロに抑えれば勝てる」という「守りの野球」を掲げていることにもつながっているのだ。
かつて落合野球が、1点差の接戦をモノにすることで、中日を常勝チームに導いたことは記憶に新しい。そうしたシビアな対決の中で薫陶を受けてきた谷繁は、落合の勝負への執念を最も間近で見てきた。だが、谷繁は決して“オレ流采配の後継者”として選ばれたわけではない。
話は、昨シーズン終盤にまで遡る。落合とは監督時代から絶大な信頼関係を築いていた白井文吾オーナーが、親会社での政権争いを勝ち抜き復権を果たしたことで、全ての様相が大きく変わった。
中日OBで固めたコーチ陣で、低迷に苦しむ高木守道政権末期、チーム再建には外様からの厳しい意見が必要だと白井オーナーは考えていた。この時、白井オーナーがアドバイスを求めたのが“盟友”の落合だった。
白井オーナーは開口一番、落合に「谷繁は監督としてどうかね」と聞いた。その時、落合は「彼なら大丈夫です」と即答。それを聞いた白井オーナーの「キミも谷繁をしっかり見守ってくれ。アドバイスとか肩書が必要ならば言ってくれ」という言葉に、落合が「だったら、GMという形でチームの骨格作りにご協力させていただきましょうか」と提案し、白井オーナーが快諾。かくして落合GM──谷繁監督体制が誕生したのである。