主にヤクルトで活躍し、巨人から挙げた勝ち星は通算29勝。「巨人キラー」と呼ばれた川崎憲次郎氏が西武、巨人で活躍した大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に出演。
ルーキーイヤーの1989年に挙げた4勝のうち、1勝は巨人から。2年目の90年には先発ローテーションの一角を担い、2桁の12勝を挙げた。実はある試合での悔しい経験から、この年に真の「巨人キラー」に目覚めたのだと回顧している。
それが4月16日付け〈第六話 大巨人ファン・川崎憲次郎が巨人戦に強かった理由〉とタイトルした投稿回だ。川崎氏がそこで語るキーマンは、元巨人の主砲・吉村禎章氏だった。
吉村氏は将来の4番を嘱望されていたが、88年7月6日、中日戦の外野守備の際に、同じく外野の守備に就いた栄村忠広氏と激突して左ヒザの靱帯4本のうち3本を断裂する大ケガを負った。
翌89年9月2日の対ヤクルト戦、ピッチャー・川崎氏の場面で代打復帰。川崎氏はセカンドゴロに打ち取ったが、さらに翌90年9月8日のヤクルト戦で、またも対決する。この際には吉村氏にサヨナラ本塁打を浴び、巨人のリーグ優勝を許したのだった。
優勝に沸く巨人ナインを尻目に、愕然としたままマウンドに取り残された若き川崎氏は、この時のことを次のように回想した。
「あれほど悔しい思いしたのはなかったんで。(中略)それで初めて、絶対に巨人だけには負けたくないって気持ちになったんです」
対する吉村氏はどのような心境で打席に立ち、本塁打を放ったか。このチャンネルに招き、本音を聞き出してもらいたいところである。
(所ひで/ユーチューブライター)