北海道を走る留萌線の終着駅・増毛(ましけ)。暮れも押し迫った12月30日、赤提灯が灯る小さな居酒屋に、連絡船の欠航で所在ない男が入っていく。それは高倉健扮する警察官で、元オリンピック射撃選手。女手ひとつで店を切り盛りするのは、倍賞千恵子扮する桐子だ。客のいない店内で女が、ふとつぶやく。
「どんな遊び人も、正月には故郷や家庭に帰ってしまうでしょ、つらいのよね、そんな時…」
静まり返った店内に流れるのは、テレビで八代亜紀が歌う「舟唄」だけだ。
「この唄、好きなのよ」。
男は女の横顔に、ふと自分と同じ孤独の影を感じるのだった。
1981年に公開され、大ヒットした映画「駅 STATION」。
「実は健さんから、あの場面には『舟歌』を使ってほしいという要望があって実現したんですよ」
のちに東宝関係者からそう聞かされ、「さすがは健さん!」と思わず膝を打ったことを憶えている。
そんな健さんに「エイズ死亡説」というとんでもない怪情報が流れたのは、1987年4月のことだった。しかも発信元が芸能界とは無縁な兜町界隈だったことから、芸能マスコミのみならず、一般紙やテレビの報道番組など、全てのメディアを巻き込む大騒動となったのである。
5月21日午後4時、東京・日比谷にある帝国ホテルで行われた、健さんが主演の映画「砂の冒険者」(東宝)の制作発表記者会見に詰めかけたのは300人。
報道陣を前に、健さんは硬い表情で切り出した。
「いろいろ自分の頑なな性格で、世間をお騒がせして申し訳ないとは思うが、今回ばかりは身近にいて本当に僕のことを心配してくれる人たちまで苦しめてしまい、心底から怒りを感じています」
スクリーンの中での健さんは、物静かな面持ちで耐えがたきを耐え、しかし最後には…という役を演じることが多い。が、さすがに堪忍袋の緒が切れたのだろう。全身に怒りを滲ませて、
「質問されるのは苦手ですが、これも成り行き上、仕方がないと思って出てきました。この映画がなければ、一切釈明したくはなかったが、生業としているからには…。これが女の問題とかだったら笑って済ませるんですが、殺されちゃうわけですからねぇ。故郷には年老いた母もいますので…」
それでも映画に懸ける意気込みを聞かれると、
「俳優は映画でモノを言うしかありませんが、僕も一度殺されたんだから、限りある命を大切に、一生懸命やらなくては」
このエイズ死騒動、一説には健さんの死亡説を流すことでひと儲けをたくらんだ不埒な輩の仕業、との噂もあったが、真相は薮の中に消えた。
ともあれ、本人の会見で火は消えたものの、健さんファンにとっては、まさに胸に痛みが走る会見となったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。