82年に公開された主演映画「さらば愛しき大地」で、日本アカデミー賞優秀主演男優を受賞。その後も数々の作品で演技賞などを受賞してきた実力派俳優、根津甚八が死去したのは、16年12月29日だった。
根津は01年6月、「右目下直筋拡大」という原因不明の病に侵され、右目の下瞼が垂れ下がり、物が二重に見える「複視」という症状を発症。そして04年7月、自宅がある目黒区内で車を運転中、交差点を左側から自転車で横切ろうとした男性と接触した。男性は頭蓋骨陥没骨折などで夕方に死亡するという、不幸な事故だった。
書類送検された根津は刑事罰に問われることはなかったものの、闘病中だったことも重なって強い罪悪感に苛まれる。結果、10年9月に俳優業引退を発表することになる。
根津は無口で、その振る舞いは常にクール。さらに、大のマスコミ嫌いとして知られていた。そんな彼について語り継がれるのが、世に言われる「殺虫剤騒動」だ。
根津は唐十郎主宰の劇団「状況劇場」に所属していた頃、最初の妻であるAさんと結婚。しかし、長女をもうけたあと、84年に離婚している。離婚前から、のちに個人事務所を設立するBさんと同棲を始め、以降13年にわたり、公私の関係を続けてきた。
騒動が起こったのはちょうど、この女性との間に別れ話が持ち上がっていた頃。直撃されたレポーターに、根津が無言でスプレー式の殺虫剤を吹きかけた、というものだった。
この危険行為に「いくらなんでもやり過ぎだ」「失明したらどうするつもりなのか」等々、世論の批判が集中したものである。
数年後の94年3月24日。渋谷区代官山のパブテスト教会には、そんな騒ぎを起こした俳優と同じ人物なのかと目を疑いたくなるほどの満面の笑顔で、新しい伴侶である仁香夫人とにこやかに並ぶ根津の姿があった。式を終え、報道陣から「誓いのキスは上手くいきましたか」と聞かれた根津は、
「だいたい3秒くらいかなと考えていたんですけど、やっぱり人前でキスするのは照れくさいですから、2秒くらいに」
と照れ笑い。そして、こう続けた。
「彼女は結婚後も仕事を続けますが、家の中をしっかり守ってほしい。僕が仕事から帰っても安心できる家庭を」
夫人は根津の「俳優引退」後も、懸命に彼を支え続けたと伝えられる。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。