昨年、還暦にして映画「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」でハリウッドアクション・デビューを飾った石田えり。やはり、生まれ故郷である火の国・熊本の血がそうさせるのだろうか。
石田というと忘れられないのが、ミュージシャン・芳野藤丸との「命がけ夫婦喧嘩」激白の離婚会見だ。
2人は84年、石田のアルバム「ゆれてもゆれても」のレコーディングで出会い、意気投合。間もなく横浜市内のマンションで同棲生活を開始し、翌85年9月に電撃入籍した。
しかし、幸せな日々は長くは続かず。90年2月24日、石田が世田谷区役所に離婚届を提出。同日、出演する舞台「飢餓海峡」の稽古場で記者会見が行われた。
「昨年の8月、彼の方から『別れたい』と言われて。でも(芳野が)あまりいい男なので、私は『別れたくない』と言ったんです。でも、そこからまた(喧嘩を)繰り返すようになってしまって…」
そう石田が吐露するように、2人の夫婦喧嘩は修羅場の連続だったそうで、
「それこそ喧嘩した時は、間が空くと殺されるかもしれないと思うことが何回もあったし、私が包丁を握ったことも何回もありました。仲良くしたくても、仁王立ちになってしまって。そんな醜い自分を見たくなかった」
ただ、喧嘩の原因については当時、芸能マスコミが書き立てた「収入格差」や「夫の酒乱と女グセ」説をやんわりと否定。そして、
「喧嘩の後には吐きそうなくらい話し合って、繕ってきたんですけど、何度やり直しても、同じことを繰り返してしまうだけで。少し片目をつぶって薄目のまま暮らしていくんだったら、楽しくやっていける相手だったと思います。でも、私はちゃんと目を開いて生きていきたかった。で、自分が一緒に生きていく人とは違う、という結論が出たわけです。愛って努力じゃないと思いました」
吹っ切れたような口調で、そう語ったのである。
とはいえ通常、芸能人の離婚記者会見は、双方がキレイごとにしたいがため、質疑応答にはどうしても「なぜ?」「どうして?」が付きまとうものだ。
しかし石田の会見は、いたって「明瞭」。誠心誠意、自分の言葉で語っている、芸能人としては極めてまれなケースだった。そして、石田の最後の言葉が振るっている。
「結婚生活そのものには懲りていないんです。理想の形で愛し合える人ならば、また結婚します。男、好きなんですよ(笑)」
やっぱり、火の国の女は強かった!
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。