オーディション番組「スター誕生!」から世に出た3人の少女は、「花の中三トリオ」と命名され、ともに成長を遂げる。1975年公開の「花の高2トリオ初恋時代」(東宝)ではトリプル主演を務め、高校卒業時の77年には解散コンサートを開催。旅立ちから45年、三者三様のスキャンダル秘史を振り返る。
安倍晋三元総理の銃撃事件をきっかけに、連日ワイドショーを賑わせる旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)。山上徹也容疑者の母親が多額の献金を行っていたことで、再び脚光を浴びているのが30年来の信者として知られる桜田淳子(64)だ。
ことの発端は92年6月25日発売の「週刊文春」。元新体操日本代表で、当時タレントの山崎浩子氏が旧統一教会への入信とともに同年8月開催の合同結婚式に参加する予定であることを報じ、同日に開かれた会見で山崎本人が、「どんな人とでも結婚します」と認めたのだ。ベテランの女性誌記者が振り返る。
「それは大騒動になりましたよ。合同結婚式の参加者名簿に桜田の名前もあったことで、6月29日にワイドショー『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)が統一教会信者の桜田の姉を直撃すると、彼女の参加を匂わせたのです」
翌30日、周囲を仰天させた桜田の会見が開かれた。
「19歳の時、姉の生活を目の当たりにして、自ら求めて入信しました」
桜田は入信のきっかけについてこう語り、
「これこそ理想の結婚と感じています」
と、合同結婚式への意欲を強く覗かせた。なお、「花の中三トリオ」の他の2人について質問された桜田は、
「チャンスがあれば2人にも統一教会に触れてほしい」
とも語っている。
桜田は2カ月後、有言実行を果たし、合同結婚式で伴侶を得ることとなる。
「統一教会が注目されると同時に、霊感商法による被害や訴訟問題も明らかになり、各メディアは桜田の出演に及び腰になり、桜田自身も発言を自粛していました。そして93年3月公開の映画『お引越し』を最後に、表舞台から姿を消したのです」(女性誌記者)
一方で、統一教会の広告塔と称され、関連イベントには積極的に顔を出していた桜田。彼女のもとに報道陣が押し寄せたことでケガを負い、車椅子姿で行事に参加する一幕もあった。
渦中の93年、週刊アサヒ芸能(4月22日号)は、「桜田淳子が仰天告白!『私は34歳まで処女を守り通した』」と題し、こんな肉声を伝えている。
「(何百万円もする壺なら壺を)買った人が『すばらしい物』と思って買ったのならいいじゃないですか。自分の目で判断して買えばいいんです」
これは囲み取材に応じた際の開き直り発言だが、そんな勧めに乗ってしまった一人が、育ての親として知られるサンミュージックの故・相澤秀禎社長(当時)だ。芸能レポーターの石川敏男氏が話す。
「相澤さんは2000万円の壺を彼女の知人に頼まれ『淳子のためになると思って買った』と言っていました。彼は最後の最後まで彼女の味方だったんです」
結婚後は福井県敦賀市、兵庫県西宮市と居住地を移し、04年に東京都世田谷区に転居。芸能界復帰を視野に入れていたというが、
「桜田が相澤さんの元を訪れて『戻りたい』と願っても、『統一教会から離れない限り、復帰はできない。被害者がいるのだから』と。東京の自宅には、信者が頻繁に出入りしていたそうですからね。ただ、デビュー以来ずっと可愛がっていた彼女を見捨てるつもりは一切ないようで『いつでも相談に乗る』と寄り添っていました」(石川氏)
13年、相澤氏が死去すると通夜に参列。16年半ぶりに公の場に姿を現すと、芸能活動再開へと舵を切る。同年11月に都内でファンイベントを開催し、17年にはミュージカルにゲスト出演。18年には35年ぶりとなるニューアルバムをリリースし、コンサートまで開催した。
「17年の公演前には、全国霊感商法対策弁護士連絡会が出演に反対する声明を発表したほど、広告塔としての存在が危険視されていました。来年はデビューから50年目で、節目のイベントを視野に入れていたようですが、これまで公演を仕切っていた人物が昨年急逝し、今後については、まったくの白紙のようです」(女性誌記者)
霊感商法が再びクローズアップされる中、桜田は沈黙を守り続けている。