88年6月1日、東京・虎ノ門のホテルオークラで行われた挙式・披露宴の後、夫になった春風亭小朝とともにひな壇に並んだ泰葉は満面の笑みで、次のように語った。
「女遊びとか…父を見ていましたから、覚悟はしています。それも打ち明けられる、隠し事のない家庭を築いていきたいです」
2人は前年12月に出会い、わずか3回のデートを経て結婚を決意。2月には婚約発表会見を開いたが、林家一門の猛反対もあり、婚約発表から1年4カ月の時を経て、この日を迎えることになった。
「1年半かかってのゴールインですが、順風満帆ではなく、山あり谷ありの道のりでした」
と、感無量で語る小朝。そんな新郎に目をやり、頬を伝う涙を拭う新婦の姿を、今でも記憶している。
だが、時の流れとは無情なものだ。そんな感動的な記者会見から19年が過ぎた07年11月13日、再び金屏風の前に並んだ2人が発表したのは離婚。しかも、この会見がなかなかどうして、ブッ飛んでいた。
「登壇します!」という司会者の声で2人が登場。しかも、兄・正蔵と弟・いっ平(現・三平)も同席し、その様相は真打昇進発表会さながら。
「女としての楽しみがなく、おかみさん業に疲れた。愛はありませんでした」
としながらも「今でも好き。夫を尊敬しすぎた」と言う泰葉に対し、小朝は円満離婚を強調。
「僕も楽しかった。夫婦から援助交際に変わっただけ」
最後には泰葉が、
「離婚とかけて泰葉と解く。その心は小朝(怖さ)知らず」
と即興の「謎かけ」を披露したものの、報道陣との質問が噛み合わぬまま、会見は終了。落語家とはいえ、人前で自身の離婚に至るまでを時系列で説明するのは難しいだろうが、ともあれ「オチ」のない会見に、誰もが首をかしげていたのだった。
ところが、そんな「円満離婚」会見から1年もたたない08年5月、小朝と事務所女性との恋愛が報道されると、事態は一変。週刊誌に「離婚の真相を話します」という泰葉の記事が掲載された。
さらに9月28日には自身のブログに「離婚の本当の理由を一つ書く!元夫だった金髪豚野郎は、私の母のことを20年間『ゲロ』と言っていた。ゲロに電話して、ゲロ元気?色々事情はあったけれど、私を生んでくれた人をなぜゲロという」と綴ったのである。
さっそく泰葉を訪ねたものの、あいにく留守。代わって答えてくれた母親の海老名香葉子さんは「世間の目に触れることを考えないとねぇ。お騒がせしてすみません」と、大人の対応を見せていたのだが…。
そんな泰葉は18年2月、ブログで自己破産したことを公表。お騒がせぶりは継続中のようだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。