70年代、日本のロックバンドが活動できる場所は東京や横浜、大阪、京都といった大都市に限定されていたため、地方のバンドは「上京」を余儀なくされていた。
そんな中、石川県小松市をホームグラウンドに、当時としては珍しいツインギター、ツインドラムという編成で、泥臭いワイルドなサザン・ロックを演奏し「日本のグレイトフル・デッド」と呼ばれていたのが「めんたんぴん」だった。
佐々木忠平(vo)、飛田一男(g)を中心に、72年に結成。前身の「めんたんぴんブルースバンド」時代には、クリームの楽曲などを中心に演奏。その後、ローリング・ストーンズのナンバーを演奏するようになる。
そして74年、アメリカ西海岸でグレイトフル・デッドの演奏に触発された佐々木により、アメリカ西海岸から南部に根差す、アーシーで骨太なアメリカン・ロック・サウンドに傾倒。さらに、デッドのファミリー的な「ロック・コミュニティー思想」に影響を受けた彼らは、自身がイベンターとなり、地元に各地のバンドを呼び入れて開催する「夕焼け祭り」(70年代には6回開催)を企画するなど、リスナーとの関係に特別なこだわりを持つようになる。
そんなこともあり、まだ楽器車など珍しい時代に「めんたんぴん号」で日本全国のライブハウスを回り、多い時には月25本ものステージをこなしていたというから驚く。
そんなロード&ライブ・バンドのセカンドアルバムにして最高傑作とされるのが「Mentanpin Second」である。コンサートツアーの合間に4日間で録音したことで、逆にライブの躍動感がそのまま生きている。
A面1曲目、のっけから迫ってくるのが、飛田と池田洋一郎との、ジェリー・ガルシア&ボブ・ウィアばりのファンキーなツインギター・バトル。サンフランシスコと小松という2都市への心情を歌い込む、佐々木のヴォーカルは秀逸だ。
続く「夕焼け祭り」「国道8号線」は、彼らが関わった同名の野外イベントがテーマの、軽快なナンバーだ。
B面はスライド・ギターが冴える「さいやんなぁー」(最低だな、の意味)で始まり、ゲスト参加した佐藤博(元ティン・パン・アレイ)のエレピがいい仕事をする、スロー・ブルースの「帰り道」。さらに、アシッドなプレイが印象的な「ロスト・プラネット・ミュージック」と続き、アルバムの最後を飾るのが、軽快なロックンロールナンバー「山を越え谷を越え」。
基本的にはファーストアルバム「Mentanpin」の平行線上にあるものの、キレのいいギターと重心の低いリズムには磨きがかかり、よりデッド色が強調されているようだ。
めんたんぴんはその後、武道館でステイタス・クオー、バックマン・ターナー・オーバードライブと共演。怒涛のインタープレイの応酬が、ファンを熱狂させたものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。