彼はその年、秋の天皇賞をスーパークリークで制し、春秋の盾を連覇。それだけでも驚きだったのに、翌90年春の天皇賞もスーパークリークで勝ってしまった。
つまり、平成になってから行われた天皇賞3戦をすべて制覇したのだ。
平成の盾男。上手いニックネームというより、実績をそのまま表現しただけなのだ。
父・邦彦が管理するバンブーメモリーで臨んだ90年秋の天皇賞こそ3着に終わり、天皇賞4連覇は逃したものの、彼の「盾男ぶり」はまだまだ続く。
91年春の天皇賞にも、きわめつけの相棒で臨むことになった。メジロマックイーンである。
前年の菊花賞をほかの騎手の手綱で制したこの馬には、果たすべき使命があった。それは、84年に世を去った「メジロ軍団」の総帥・北野豊吉の遺志──祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く天皇賞父仔3代制覇を成し遂げることだった。
それを確実に遂行するために、武に白羽の矢が立てられたのだ。
初めてマックイーンに乗った武は、
──この馬、本当に菊花賞を勝ったのか?
と驚いた。脚さばきがまるでスプリンターのような軽さなのだ。
前哨戦の阪神大賞典を完勝しても、武は、心のなかで首を傾げていた。
確かに強い。しかし、前年まで彼が乗ってきたスーパークリーク、イナリワン、オグリキャップが共通して持っていた「凄み」がまったくないのだ。それがあるからこそ大舞台を制すると思われた「凄み」がないまま、亡きオーナーが見た夢を叶えることができるのか、絶対の自信を持つことはできなかった。
ところが、である。
フタをあけてみれば、91年春の天皇賞は楽勝だった。
マックイーンは、武が首を傾げる「淡白な強さ」のまま、史上初の天皇賞父仔3代制覇という偉業を達成してしまったのだ。
同年秋の天皇賞は、後ろを6馬身突き放して1位入線するも、斜行のため最下位に降着。
しかし、92年春の天皇賞では、1番人気の座を譲った岡部幸雄・トウカイテイオーらを下し、マックイーンは春の盾連覇、武は同4連覇というとてつもない記録を打ち立てた。
その年の夏、彼の米国アーリントン国際競馬場遠征に同行した私は、
「これまで作った記録で最も誇れるものは?」
と彼に質問した。
「え、どうして急にそんなことを訊くんですか」
「いや、俺も興味があるし、こっちの関係者に紹介するとき、何をセールスポイントとして話すかも決めたいから」
と言った私は、前年に成し遂げた、日本人騎手による海外重賞初制覇(米国セネカハンデキャップ)を挙げるかと思っていたのだが、「それはやっぱり、春の天皇賞4連覇ですよ」
とあっさり言われた。
私たちは、シカゴ中心部のマクドナルド1号店にいた。オープンカーがディスプレイされたそこで見せた、彼の誇らしげで、晴れやかな表情は今でもよく覚えている。
◆作家 島田明宏
◆アサヒ芸能4/28発売(5/8・15合併号)より