社会

織田信長と抗戦…甲賀忍者から大名になった男の悲しい末路

 室町時代から戦国時代、江戸時代初期にかけて暗殺、諜報&破壊活動などを請け負った忍者=NINJAの名前は今や日本国内だけでなく、全世界まで響き渡っている。

 特に伊賀流、甲賀流忍者は現在も小説や映画、テレドラマの主人公として描かれている。中でも伊賀の服部半蔵は江戸幕府に仕え、東京・半蔵門にその名を残した。甲賀では、織田信長を火縄銃で狙撃した杉谷善住坊なども有名だ。

 それでは、忍者大名・山中長俊を知っているだろうか。

 甲賀流忍術の中心は、六角氏に味方した甲賀の地侍、甲賀五十三家の中でも特に信頼が厚かったのが二十一家である。二十一家の中に、山中家と呼ばれる一族がいる。その一族の中で大名にまで登り詰めたのが、山中長俊だ。

 通称・橘内と呼ばれる長俊も当初、六角義賢に仕え、敵対する織田信長と抗戦していた。だが、天正二年(1574年)、義賢から暇を与えられた後、信長の配下・柴田勝家に属して鉄砲同心50人を預かるようになった。そして河田長親の調略などの功績で、3000石の家老になっている。

 信長の死後、勝家が羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と対立。調略を担当するが、天正十一年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで柴田家が滅亡したため、丹羽長秀に仕えるようになった。天正十三年(1585年)、6000石で豊臣秀吉の右筆となり、小田原征伐の際には外交官僚として力を発揮している。

 文禄二年(1593年)にはそれまでの功績により山城守に叙任され、豊臣姓まで下賜されている。さらに文禄四年(1595年)には1万石の大名に。その後、畿内の太閤蔵入地3万石の代官となった。

 豊臣政権下には徳川家康らの五大老、石田三成らの五奉行がいるが、長俊は佐々行政、富田一白らとともに、十人衆として政権に携わるほどの実力者となった。

 慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いでは大坂城留守居、守備隊として大坂城周辺を守備したが、徳川方の東軍が勝利。西軍に属していた長俊は改易となり、京に隠棲して慶長十二年(1607年)、同地で死去した。一代で登り詰めた忍者大名にしては、悲しい末路だったかもしれない。

(道嶋慶)

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