芸能人の記者会見そのものが激減した近年と違い、ワイドショー全盛の80~90年代には、記者会見で飛び出した「芸能史に残る名言」がいくつもあった。その代表的なものが、コピーライターで現夫・糸井重里氏との不貞が発覚した樋口可南子が、82年の記者会見で放った、次のセリフだ。
「私、奥さんのいる男性を好きになったんじゃないんです。好きになった男性に、たまたま家庭があっただけ」
当時、糸井氏は32歳で、樋口は22歳。糸井氏には2歳下の妻と、81年に生まれたばかりの長女がいた。不貞発覚に糸井氏は、
「誰かを好きになることは、誰にでもあること。(女房は)わかってくれています。そういう女房を、僕は選んだのですから。別れるということはありません」
一方で、樋口の口から飛び出したのが、先の言葉だったのである。
糸井氏の妻を取材すると、同氏が言うように、
「クリスチャンとして、人が人を裁くことはできません。人間が犯した過ちは、許してあげようと思っています」
聞けば敬虔なクリスチャンとのことだったが、その驚愕すべき寛容さには唖然としたものだ。
とはいえ、ほどなくして2人は、渋谷区内のマンションで同棲。86年には糸井氏とタレントとの密会が写真誌に報じられると、樋口が主演映画「ベッドタイムアイズ」の制作発表の席上で、
「彼との仲はもう清算しました。きちんとケジメをつけました」
と語り、周囲を驚かせたこともあったが、それでも樋口の一途な思いは変わらなかったようだ。
結果、交際から11年の時を経た93年5月、糸井氏と妻との正式離婚が成立。同年7月6日、東京・目白のホテルで記者会見に臨んだ樋口は、
「プロポーズはまだですが『一緒になろう』とは言い合っていました。11年間、2人だけで出歩かないように隠れながら生活してきたので、今日会見することになって、ちょっぴりホッとしています。まさに山を越え、野を越え、今に至った感じです」
長かった「同居人生活」を振り返り、素直に喜びを語ったのである。
糸井氏はマスコミに向け、ファックスで報告。樋口と同居中であること、結婚を前提にした交際であること、前妻との協議離婚が成立したことが事務的に記されており、最後は「愛想なしで、スミマセン」と締められていた。
会見の最後に、
「自分たちのことだけしか考えていなかったことが悔やまれます。迷惑をかけた近しい人々を、これからいちばん大切にしていきたい」
と語った樋口は8月17日、糸井氏と入籍。交際から11年目、34歳の夏のことだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。