ある番組で豊川悦司が、若い頃にファンレターを出した本人から返事をもらった、と触れたことに「なんだか、とても感動しました。素敵なエピソードをお話してくださりありがとうございました」と、自身のインスタグラムに感謝の気持ちを綴った手塚理美。
彼女は中学1年の時に、ユニチカのマスコットガールに選ばれ、本格的に芸能界デビューした。当時、中学生だった豊川は手塚にせっせとファンレターを送り、返事が来るのを心持ちにしていたというのである。
そんな爽やかなエピソードから、数十年の時が流れた97年。手塚と夫、真田広之との間に離婚騒動が勃発。連日ワイドショーを賑わせることになるのだから、世の中わからないものだ。
2人は90年に結婚。翌年には長男が誕生するが、真田が病室にビデオを持ち込み、その瞬間を撮影する子煩悩ぶりが話題になった。
しかし、93年には女性誌が2人の不仲を報道。夫婦揃って完全否定したものの、2年後の95年、今度は真田と葉月里緒菜との不貞疑惑がスッパ抜かれる。手塚は2人の子供を連れて、都内の実家へ。別居生活がスタートし、夫婦間の亀裂が伝えられていた。
ところがそうこうするうち、今度は真田と不貞関係にあるとされる葉月と、当時オリックス在籍中だったイチローとの「ロス密会」が報じられたのである。会見を開いたイチローは、
「(恋愛感情は)ないと言ったらウソになりますね」
続いて葉月も会見で真田との関係を「過去の話です」と、すでに清算済みと語ったことで事態は急展開を見せ、95年3月27日に、夫婦が時間と場所をずらして記者会見を開くことになる。
最初に口火を切った手塚は離婚理由について「人生観や価値観の違い」としたものの、葉月が原因か、との質問に、
「別居についてはそうですが、人はそれぞれ恋をすると思いますし…。離婚に関しては違います。私の中では大きな問題ではなかった。彼の(離婚したいという)決心が固かった。本当にこの人は一人でいたいんだなぁと」
真田の心が自分から完全に離れてしまっていた、と吐露したのである。
一方、40分後に別の場所で会見に臨んだ真田は、
「葉月さんのことでは、かなり彼女(手塚)を傷つけたし、迷惑もかけました」
としながらも、離婚の原因は「小さな積み重ねの結果」であり、不貞が直接の原因ではなかった弁明した。
とはいえ、片や不貞相手に乗り換えられてしまったダメ夫。片や「子供たちのために健気に耐える妻」とでは勝負になるわけもなく、ワイドショーでは連日、真田バッシングが続いた。
その後、手塚はドラマ「ふぞろいの林檎たちVI」(TBS系)で、本格的に現場復帰。口さがない芸能マスコミからは「会見場にTBSを選んだのも、ま、番組宣伝だよね~」との声もあったが、皮肉なことに7年目の破局が、彼女の女優人生を再び開花させたのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。