岩手県の県南に位置する陸前高田市は、被災地の中でも最大の被害を受けた。海岸から数百メートル離れているのに4階建ての上まで津波が被り、大勢の方々が亡くなった。まさか、こんなところまで来るとは──。ビルを見上げて驚いたことを思い出す。被災地で取材をして、日が暮れると宿泊するホテルがある花巻市や盛岡市に戻る日々が続いていた。
道端の防犯灯は壊れているから、真っ暗な国道をヘッドライトで照らした東京ナンバーの車ですっ飛ばす。するとバックミラーに、後続車のライトが見える。と、みるみるうちに近づいてきて、急に赤色灯を回し、
「前の車、停まって下さい」
とアナウンスされることがたびたびあった。道の端に停めると、大阪府警とボディーに書かれたなにわナンバーのパトカーだった。
全国各地の警察から派遣された警官が、被災地を守っていたのだ。が、地元以外の警察官は地理には全く詳しくないので、警官とのやり取りは噛み合わなかった。
「こんばんは。東京のナンバーの車でしたので。どちらに行かれますか」
「大船渡を通ってから、釜石の小佐野の方に行くんです」
「釜石、小佐野?」
若い大阪の警官たちは、全く理解できていないようだった。
震災後すぐに入った大槌町は役場が破壊されて多数の死者が出ていたが、国道沿いの山の斜面から炎が出て、山火事が続いていた。その近くに大型商業施設があり、脇にはトラックが横付けされて、施設から商品を運び出して積み込んでいる。
私はどうも様子がおかしいと思い、近くに車を停めていたが、それに気付いた目つきの鋭い40歳ぐらいの男が近づいてきて、こちらの様子を窺っていた。片手に金属バットを握っていたので、間違いなくこいつらは泥棒だと思い、車の中から写真撮影を狙った。だが、それに気が付いた男はトラックに戻り、仲間と一緒に走り去っていった。
被災地では盗難の被害が起きていて、「中国人窃盗団が被災地に入り込んでいる」という流言も耳にした。全く実態もないのに流言を信じる者も多く、自宅の窓に板を打ち付けて中にこもり、避難所に行かない被災者も少なくなかったのである。
石巻市の専修大石巻校の芝生のキャンパスには全国からボランティアが集まり、テント村が作られていた。11年の5月近くのことだ。私は被災地の盗難の取材をしていて、なんとか伝手を辿って中年の小柄な男と知り合った。
もうすぐ関西へ戻る予定だと話す彼を口説いて食堂に誘い、犯行の様子を話してもらうことになった。
「3人ほどのチームを作って、今日は何々地区に行くって決まっているんです。狙うのはエアコンの室外機です。家の中に入るワケではなく、外に置いてあるだけですから、それを頂いてくるといった、罪の意識が薄い犯行ですね」
本当に罪の意識がないようで、笑顔を交えながら自慢げに語る。
「それを元締めのところに運んでお金をもらう、という仕組みです。大雨で被害地になった長野県にも行きます。災害ニュースは飯のタネですからチェックをして、できるだけ早く現場へ駆けつけるんです。やはり同じような狙いの者もいるので、阿吽の呼吸で仲間になるんですよ」
50代の男性はあっけらかんと喋る。
「盗った室外機は高く売れるんですよ。買うのは古物商ですが、多分、暴力団が仕切っているのだと思います。でもそれは関係ないから、仕事をするだけです」
まるで罪の意識はない。説教は馬の耳に念仏だから諦めたが、これが被災地の真実だったのである。
(深山渓)