東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から12年の月日が流れた3月11日、地震が発生した午後2時46分は、日本中が鎮魂に包まれた。
当然のことながら、当時はこの震災により各地でイベントやロケが中止になるなど、エンタメ界にも大きな影響を及ぼすことになった。筆者の印象に残っているのが、菅原文太の山田洋二監督作品「東京家族」(松竹で)降板劇だった。
この年、監督デビュー50周年を迎えた山田氏が取り組んだのが、小津安二郎の名作である同作。その小津作品で笠智衆が演じた父親役に抜擢されたのが、菅原だった。
ところが配役発表から20日ほどして、大震災が発生。製作は延期になる。その後、「思いが熱いうちに再開したい」と言う山田監督と「再開はまだ早い。シナリオも練り直した方がいい」とする菅原が対立。結局、菅原が降板したと報じられた。
菅原は仙台市出身。かつては「仁義なき戦い」や「トラック野郎」などで、ダーティーヒーローを演じたものの、98年には都会を離れ、岐阜県の飛騨高山に夫婦で移住。さらに、09年には「ニッポンの農業を何とかしたい」との思いから、山梨県で農業生産法人「株式会社 竜土 おひさまの里農園」を設立した。3000平方メートルの借地で有機野菜の生産農家を始め、自然との共存を目指していた。
それゆえ、未曽有の災害に「とても映画どころではない」と思ったのも自然なことなのだが、そんな菅原が同年6月14日、西田敏行らと都内で臨んだのが、岩手、宮城、福島の被災者のための「ふるさと支援」(NPOふるさと回帰支援センター主催)の会見だった。
原発事故の被害により福島県内の酪農家が牛舎で自死した、というニュースを聞いた菅原は、次のように切り出した。
「この大災害で3万人近い死者と行方不明者が出ていることは痛ましい。しかし、人災があることも忘れてはならない。このことを心の中で何度も噛みしめて、原発がどういうものであるかを考えていただきたい」
その上で、独自の提案をしたのである。
「ドイツ、イタリア、日本の三国で、原発をやめるという意味での三国同盟を組んだらどうか。本当に急がないと(原発に関して)今までと変わらない日本の姿が残ってしまう。そう思うと、怒りがこみ上げてきます」
その後、イタリアとドイツは脱原発に舵を切ったが、日本では現在も4基が稼働中で、今後も原発を巡る議論は継続していくことだろう。
ちなみに山田監督の「東京物語」は、菅原の代役に橋爪功が起用され、元校長に設定を変更して、13年1月に公開された。
橋爪の演技は素晴らしかった。だが、菅原扮する元造船所勤務の頑固オヤジも、ぜひ見てみたかった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。