しっかりと暑い今年の夏、海にも山にも、そして、やたらと楽しそうな夏フェスなんかにも縁がなく、ただただ、バイト三昧の毎日だけで夏が終わろうとしている若者や学生さん、きっと多いことでしょう。
実は殿にも、まだ芸人を志す前の10代後半から20代前半あたりには、何者でもなかった頃の“たけしアルバイト時代”があったのです。以前、殿はこの時期のことを、
「あの頃は金はねーけど、やたらとおねーちゃんとHがしたくて大変だった」
と、自身の若かりし頃の性欲を中心に、回想されていたことがありました。ヤングな頃の、ビートたけしの荒ぶる性欲の逸話はまたの機会に書くとして、とりあえず、殿が今までどんなバイトをされてきたのか、簡単にまとめるとこんな感じです。
デパートの地下食品売り場の店員、ジャズ喫茶のボーイ、タクシードライバー、成田空港での荷物の荷揚げ係。このあたりが、殿の口からちょくちょく聞く、“思い出のバイト”の数々になります。
で、毎度のことではありますが、殿はこれらのどのバイト時代にも、しっかりと“たけし的バイト爆笑エピソード”を持っているのです。では、さっそくですが、直接何度も聞かされた、殿のバイト傑作話、行ってみましょう。
「俺が二十歳くらいの頃か、新宿のジャズ喫茶『ヴィレッジヴァンガード』って所でバイトしてたんだけどよ、あの頃(1968年頃)、客で来てた全共闘の学生なんかがみんなサルトルの『実存主義とは何か』とか、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』とか、全然知らない難しそうな本をかっこつけて読んでやがったんだよ。それを見て、『そうか、今はこーいうのを読まないとモテないのか』なんて思って慌てて買って読んだんだけどよ、これがまるっきりわかんねーんだ。それでなんだか悔しくてよ、しょうがねーから下村湖人の『次郎物語』買って読んだら、これが意外と感動しちゃってよ。『里子に出された子供の話と実存主義じゃだいぶ違うな』なんて思いながらも、『まー感動したからいいか』なんて勝手に納得したことあったな‥‥」
ちなみに殿は子供の頃、母・さきさんの教育方針で、参考書以外の本を読ませてもらえず、漫画など論外で、小説でも怒られたそうです。ですから、読書をするといった習慣が殿にはまるっきりなかったと聞きます。
さらにちなみに、ヴィレッジヴァンガードでのバイト時代、殿は主に遅番だったのですが、早番には、後に「連続ピストル射殺事件」を引き起こし、世間を震撼させ、死刑判決を受けた、永山則夫も働いていて、殿は直接面識はなかったそうですが、まったく同じ時期に、同じバイトをしていたそうです。
で、お次は殿が22歳の頃、タクシー会社「日本交通」でドライバーとして働いたそうなのですが、殿いわく、「仕事中に友達をタクシーに乗せて海に遊びに行ってよ。それがバレてクビになった」そうです。
で、殿はこの時のタクシードライバーのなごりで、昔とったきねづかではないですが、都内の道には異常に詳しく、独自なルートの抜け道なんかを知っており、今でも弟子の運転手には、こと、道のこととなると、“そっちじゃねーだろ”的な、かなり厳しい指摘をされています。