〈人生で予想もしていなかった事が重なり前向きな最善策と考えて、離婚届を提出いたしました。原因等の内容に関しましては、相手がおります事ゆえ、これ以上お話が出来ないことをお許しください。今後の私は、子供の親権を持ちましたことを真摯に受け止めて、子供たちと一緒に誠実で前向きな生き方をしていきたいと思っています〉
菊池桃子が公式サイトで、プロゴルファーの夫・西川哲との離婚をこう綴ったのは、結婚生活17年目の2012年1月28日だった。2人は94年春の交際宣言後、同年8月8日に婚約記者会見を開き、「彼の誠実な人柄に惹かれました。彼と温かい家庭を築きたい。どこまでも付いて行きます」
と、菊池は推定500万円という3カラットダイヤの指輪を披露したものだ。
だが、翌95年4月に予定していた挙式・披露宴の出席者をめぐり、芸能プロ元会長だった西川の父・幸男氏と対立。さらに、前年にシード権を失ったことを受けて、
「結婚するのに、食べていけませんでは無責任すぎる。しっかりした成績を残してからでも結婚は遅くない。式は延期しろ!」
との父のひと言で、挙式・披露宴が無期延期となり、菊池はショックのあまり十二指腸に穴が。緊急入院する騒ぎへと発展してしまった。だからこそ、同年7月に西川が2年ぶりの復活優勝を果たした際は、西川が、
「(桃子に)ウエディングドレスだけは着させてやりたかった」
と感無量で涙を浮かべ、視聴者の涙を誘ったものである。
しかし、プロゴルファーは勝ってナンボの世界だ。いかんせん、勝たないことには賞金が入ってこない。
西川は復活優勝はしたものの、その後はすっかり勝利の女神に見放されてしまったのか、結果が出せない日々が続く。必然的に菊池が芸能活動を再開し、稼ぎ頭として一家を支えることを余儀なくされたのである。ゴルフ誌記者によれば、
「ツアープロとしての西川の賞金収入は05年以降、07年の90万円を除いてゼロ。しかも、予選も通過できずにいるわけですから、相当に厳しいと言っていい。むろん、ティーチングプロとしての収入はあるでしょうが、プロゴルファーの賞金に比べたら、タカが知れていますからね。廃業の危機と言われても仕方がないでしょう」
08年には競走馬の投資販売会社社長に就任したものの、こちらも「雇われ社長」の身だ。結局、03年に購入した「愛の巣」が菊池名義に変更された西川はマスコミ各社に対し、FAXでこう報告した。
〈自分からの配慮が足りず、すれ違いを修正することが出来ぬまま、残念な結果を生じさせてしまったことを、心より申し訳なく思っております〉
女性関係の噂もあったことから、耐えかねた妻がついに三下り半を突き付けた、という報道に終始したのである。
一方、慰謝料や養育費の受け取りを拒否した菊池はその後、法政大学大学院を修了。母校、戸板女子短大の客員教授に就任した。その姿にやはり、母は強しを痛感したものだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。