2000年代初頭、グラドル界の「黒船」として話題を呼んだのはリア・ディゾンだが、1970年代後半にも、彗星のように現れ、社会現象になった外国人グラビアアイドルがいる。それがアグネス・ラムだった。
ハワイ在住の中国系アメリカ人で、母親はイギリス、ポルトガル、アイルランド、ハワイの血を引くという彼女は、当時19歳。烏丸せつこやかとうれいこなどを輩出したアイドルの登竜門、初代クラリオンガールとして1976年6月にデビューした。小麦色の肌にエキゾチックな顔立ち、さらに「B90・W55・H92」という抜群のプロポーションで、世の男性をトリコにした。その後、コダックやライオンなどのCMに起用され、あれよあれよという間に、日本の芸能界を席巻する存在になる。
だが、日増しに高まる人気とは裏腹に、本人は日本での芸能活動には全く興味がない。「人と車が多くて寒い国は好きになれない」との理由で、1976年と77年に来日したものの、86年には引退。さっさとホテルマンの男性と結婚して、翌87年にはジョシュア君とタイラー君という双子を出産。ハワイのカウアイ島で、一家水入らずで暮らしていた。
そんなアグネスが「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)にゲスト出演するため、久々に来日すると聞けば、これは何をおいても取材に行かなければいけないだろう。
というわけで、筆者もカメラマンを伴い、都内にある記者会見場へと急行。1990年9月21日のことである。ただ、外国人の場合、往々にして10代の頃はスリムでも、年を経るに従い見る影もなくなって…という場合は少なくない。
会見場に着くまでは、カメラマンとそんな話題で盛り上がったものだが、彼女の姿を見てビックリ。というのも、確かに顎のあたりの肉付きには34歳という年齢を感じさせるものの、グラマラスなスタイルは健在だったのだ。詰めかけた報道陣の間からも「うわ~すげぇ、全然変わってないじゃん!」というため息交じりの言葉が漏れる、嬉しい誤算となったのである。アグネスは言った。
「今の自分のサイズは知りません。でも、服のサイズは当時(15年前)と変わっていないし、変化はないと思います。特にシェイプ・アップはやっていませんが、双子は手がかかるので、それでスタイルが保てているのかもしれません」
そして短かった日本での芸能活動を振り返ると、
「独身時代の体験は、それはそれで貴重なものでした。でも、今は親になったという幸せでいっぱいです」
満面の笑みを見せたアグネスだったが、物珍しさもあってか、会見場では母親そっくりの子供たちがテンションが爆上がり。アグネスは会見終了後に「ゴメンナサイ」と日本語で謝り、会場をあとにしたのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。