先発した二刀流・大谷がプロ野球最速、ねぎらいの162キロを連発し、チームメイトが惜別の胴上げ。今季限りで引退する真面目一徹男が、公式戦最後の試合で盛大に花道を飾った。20年の現役生活で残した逸話は、その性格を象徴する「深イイ」ものばかり。球界NO1の愛されキャラに敬意を表し、セレモニーを敢行する。
日本ハム・稲葉篤紀(42)と聞いて真っ先に出る言葉といえば‥‥やはり「稲葉ジャンプ」。10月5日、札幌ドームの引退セレモニーでも、満員の観客がスタンドで跳びはね、20年間の選手生活をねぎらった。実はこの「稲葉ジャンプ」こそが、稲葉の人間性を象徴するものなのである。球団関係者が明かす。
「札幌ドームでは基本的に、立ち上がって応援するのはNGです。ところが、稲葉の打席の時だけは特例で認められている。規則を変更させてしまうくらいの人徳、ということです」
誰からも好かれる人物であり、批判めいたことを言う球界人はまず見当たらない。94年のドラフト3位でヤクルトに入団した稲葉はまず、球界の恩師となる知将・野村克也氏(79)の頭脳野球に育てられた。スポーツ紙デスクが言う。
「スカウトの反対を押し切って指名してくれたノムさんには恩義を抱いているようです。そのノムさんは『稲葉はいつも手の皮が剥けてボロボロになるほど、室内練習場でバットを振っていた』と言っていた。一方で、『同じような球ばっかり空振りして、何をやっとるんや』などとボヤキ節を浴びまくったことで、ノムさんが阪神の監督になった時には『絶対に(阪神には)負けない』と対抗心を燃やしていました。後年、『今となっては(野村氏は)いいことを言っていたと思う』と感謝していました」
ルーキーイヤーの95年に67試合に出場し3割7厘の打率を残した稲葉に対し、ヤクルト時代の同僚であり兄貴分だった野球評論家・野口寿浩氏は、
「それが野村さん流の期待、激励だったんじゃないですか。野村さんというのは箸にも棒にもかからなそうな選手には何も言いませんから」
と評して、次のように回想する。
「いちばんよく覚えているのは、入団1年目ですかね。実はあの年、(稲葉は)開幕一軍じゃなかったんですよ。オープン戦の最終戦が終わって、一軍二軍の振り分けを言われるんですね。で、ずいぶん落ち込んでいるから、『どうしたんだ?』と聞いたら『実は明日から(二軍球場のある)戸田に行くんです』と言う。『そうか。じゃあ、頑張れ会でもやって帰ろうや』と、寮に戻る前に新宿の焼き肉店に連れて行ったんです。最初は暗く沈んで食べていたんですけど、『まぁいいよ。好きなだけ食え。今日はごちそうしてやるから』と言ったらすんげぇ食いだしましてね。僕は稲葉の食べっぷりに圧倒されて、あんまり食えなかった。ビビンバも肉も含めて20人前は食ったんじゃないですか。支払いが6万円弱しまして。『出世したら返せよ』と言ってあるんですけど、いまだに返ってきていません(笑)」
その年の6月に一軍に昇格した稲葉は、初打席初本塁打という華々しいデビューを飾っている。