ヤクルト時代の稲葉を語るうえで欠かせないのが、同期入団で現野球評論家の宮本慎也氏の存在である。2人はキャンプ前の1月にゴルフをやり、毎年テーマを決めて「今年はどっちが成績が上か」を賭けることで競っていたという。
「打者としてのタイプが違うので、単純に数字だけで優劣を決めるわけではなかったようです。そういえば、新人だった95年にいきなりリーグ優勝しましたが、日本シリーズ初戦前に稲葉が発熱して倒れた。宿舎のホテルで寝ているのを宮本が一晩中、額に冷たいタオルを当てて看病していました」(遊軍記者)
実にうるわしい同期愛である。ちなみに稲葉は12年4月28日に、宮本氏は5月4日と、ほぼ同時期に2000安打を達成。「同じ日に達成しようか」と話し合っていたそうだが、わずか数日の「誤差」が出た。しかし、どちらも1976試合目での到達という数字こそが、2人の不思議な“縁”と言うべきだろう。
稲葉は先に引退した宮本氏に引き際についても相談。「お互い、ダラダラと現役を続けるのはやめよう」と話し合っていたが、打撃コーチを兼任した昨年、大不振に陥り、膝の痛みもあって、潮時を悟ったという。プロ2年目からレギュラーに定着し、着々と数字を積み重ねていったが、かなわなかったことが一つある。
「実は『100人乗っても大丈夫』のキャッチフレーズで有名になった『イナバ物置』のテレビCM出演を熱望していた。ことあるごとに報道陣や関係者に『出たい』と猛アピールすることで、そのうちイナバ物置の担当者の耳に入るのでは、と思ったようです。残念ながら、出演オファーは来ませんでしたが」(スポーツ紙デスク)
プライベートでは02年に痛恨の「エラー」をしたことも。当時の夫人と離婚調停の裁判中に、「スカパー!」などで野球中継を担当していたフリーのレポーター女性と密会しているところを写真週刊誌にキャッチされ、「夫婦同然の半同棲」と報じられた。球団関係者が苦笑しながら言う。
「この不倫騒動の際も、ヤクルトの選手たちからは『エロ爽やか』という好意的なアダ名で呼ばれたくらいです。今でいう、俳優の沢村一樹のような、嫌みのないエロという意味です」
これもまた人徳なのか。
ヤクルトで10年間プレー後、05年にFAで日本ハムへ。移籍3年目の07年には最多安打と首位打者のタイトルを取っている。
「真面目すぎる性格で悩むこともあった稲葉が日ハムで新庄剛志氏(42)と出会い、大きく変わった。細かいことを気にしない豪快さやファンサービスのしかたを参考にしたんです。ヤクルト時代には本塁打でガッツポーズするような選手ではなかったのに、ファンに手を振って応えるなど、パフォーマンスに気を配るようにもなった」(遊軍記者)