ヤクルトの「死球騒動」が波紋を広げている。日本野球機構(NPB)の理事会と実行委員会が9月4日に行われ、ヤクルト・江幡秀則専務が取材に応じ「要はヤクルトスワローズのピッチャーが下手くそというだけで」とコメントした。
それにしてもヤクルトは阪神戦での死球が多すぎる。3日には近本光司が右脇腹付近に死球を受けて交代。8月13日には梅野隆太郎が左手首付近に受けて骨折し今季絶望となっている。
実はヤクルトの死球騒動は今回が初めてではない。90年代は野村克也監督時代、長嶋巨人への「死球」をきっかけに遺恨対決となった。その引き金を引いたのが、皮肉にも今、ヤクルトで指揮をとる高津臣吾監督だ。
93年5月27日の巨人戦、高津氏が大久保博元氏(現・巨人打撃チーフコーチ)に死球を与えた。大久保氏はこれにより左手首を骨折。この年、6月の北陸シリーズでは巨人の投手(宮本和知氏)がヤクルトの司令塔だった古田敦也氏に2球続けて内角をえぐり、3球目に右上腕部に死球を与えた。これに野村監督が「故意によるものだ」と猛抗議。巨人担当記者によれば、
「この頃のヤクルト巨人戦は両軍から飛ぶベンチの野次が凄まじかった。当時の神宮球場の記者席にも、その野次の内容が丸聞こえ。毎試合、今では表現できないような汚い言葉を連発していました」
この翌年もヤクルトと巨人の死球合戦は続き、5月11日の試合は大荒れ。巨人の主力捕手だった村田真一氏が頭部に死球を受けると、これを投げた西村龍次氏に今度は巨人・木田優夫氏(現・日本ハム2軍監督)が死球を与えた。この状況に巨人の長嶋監督からは「目には目をです」と「報復死球」とも取れる発言が飛び出し、
「(村田が受けた)頭はいけませんよ、頭は。即刻退場にしなきゃ、でしょ? 遺恨を残すんですよ」
と語気を強めまくし立てていた。結局、この試合をきっかけに頭部の死球では「投げた投手は即刻退場」というルールができたのである。
次のヤクルトと阪神の直接対決は9月22、23日(神宮球場)。この2試合で死球があれば、何らかのルール改正が必要かもしれない。
(小田龍司)