女優・南田洋子が体調の異変を訴えたのは、2005年頃だった。夫の長門裕之と出かけた北海道での映画ロケの際、突然セリフが出てこなくなったという。当初は一時的なものかと思ったものの、年を追うごとにそんなことが多くなる。そして翌06年に撮影された映画「22歳の別れ」のあと、長門に「私、もう役者をやめたい」と告げたという。
1956年公開の映画「太陽の季節」で知り合った2人は、同棲生活を経て、61年に結婚。南田は女優として55年にわたり活動してきたが、女優を退いた後は都内の自宅で夫・長門とともに、のんびりとしたゆとりある生活していると、世間は思っていたことだろう。
ところが2008年11月3日、そんな夫妻のあまりにも壮絶な現実が「報道発 ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日系)で紹介される。そこにはアルツハイマー型認知症を発症した南田の痛々しい姿と、食事の世話から下の世話まで、全てを自らの手で行う長門の、24時間認知症介護の過酷さが描き出されていたのである。
かつての美人女優の衝撃的な姿の一部始終を撮影した番組に対し、一部には批判もあったが、「我が家にも起こりうること」との意見が大半を占め、視聴率は22.9%を記録。しかし、放送後も症状は進行するばかりで、放送から1年を待たずした翌09年10月21日、南田はくも膜下出血のため、都内の病院で76歳の生涯を閉じたのである。
「芸人は親の死に目に会えない」とはよく言われる言葉だが、最愛の妻を亡くしたこの日、明治座の舞台に立った長門は公演終了後、沈痛な面持ちで記者会見に臨んだ。
「僕の愛おしい…大好きな…素敵な女房が午前10時56分、さよならも言わないで永眠いたしました。開演の4分前でしたから、舞台に向けて自分の精神を作るのに必死で。だからあの瞬間は、洋子のことは全然、考えませんでした。(亡くなったことは)午前中の公演の後、さりげなく風のように、僕の耳に入ってきました。『ああ、逝ったの』って…」
それでも前日には何があってもいいように、
「100万偏、さよならを言ってきました。もう、いっぱい、いっぱい、女房に別れを告げました。だから…もう後悔はしていません」
そう語る彼の目からは、大粒の涙が幾重にもなってこぼれ落ちた。
10月30日に行われた告別式で、長門は言った。
「頼みもしないのに僕に自由と解放を与えてくれて、その見返りとして喪失感と失恋を味わわせてくれました」
そして最後のお別れの後、棺の中の妻に最後のキスをした長門はいきなり、大声でこう叫んだ。
「はい、カット! もう洋子、いいぞ。起きて! もう終わったぞ。撮影終わったぞ!」
棺の中には夫婦で撮った写真のほか、生前の彼女がお気に入りだった水色の着物が収められた。大好きだった妻のもとに長門が旅立ったのは、それから2年後の2011年5月のことだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。