で、これは翌日になってわかったことなのですが、その日の夜、すき焼きを食した軍団若手はもれなく腹を下し、深夜に何度もトイレへ駆け込んでいました。
情けない話、普段食べ慣れない高級和牛を食した結果、体と胃がビックリして、若手は皆“あたって”しまったようなのです。この時ばかりは、安すぎて“あたる”のでなく、高級すぎても“あたって”しまう、己の貧相な胃袋を呪う軍団若手でありました。もちろん、普段から高級な食材を口にしている殿は“あたる”ことなどなく、翌日も普通にタップの稽古をこなすと、
「まだ肉が余ってんだろ。じゃー今日もすき焼にするか」
といった指示を出され、わたくしたちは、“少しビビリながら”2日続けてすき焼きをつついたのです。
が、体が慣れたのか、その日の夜は前日の症状に比べ、お腹の“あたり”が明らかに軽く、〈人間、何でも馴れが必要である〉とつくづく感じたものです。で、殿は頂いた和牛がいたくお口に合ったようで、その後も、
「やっぱり和牛の霜降りにかなうものはないな」
「あんなもん食ったら輸入ものの牛肉なんて食えねーよな」
等々、“とにかく肉は和牛の霜降りである”といった絶賛論をことあるごとに語っていました。
そんな殿と、ややあってから“次の映画の取材”といった名目で、NYへ行くことになり、NY滞在中、ブロンクスにあるロバート・デ・ニーロも常連というステーキハウスで食事をとることになったのです。運ばれてきたステーキは、“これぞ、アメリカの肉”といった感じの、実に歯ごたえのある赤身たっぷりな、日本では味わったことのない、“けして柔らかくはないが、すこぶるうまい”といったステーキで、殿はひと口そのステーキをほお張ると、
「もうあれだな。霜降りの時代じゃないな!」
と、あれだけ絶賛していた霜降り和牛をいとも簡単にそでにし、
「やっぱり肉は堅くなきゃ食った気しねーしな。これからは日本もこっちが主流になるんじゃねーか」
と、将来の日本の肉の流行まで予想しだしたのです。
そして、帰国した殿は会う人会う人に、
「NYで食った、堅いステーキがやたらうまくてよ。連れてったうちの北郷なんてあんまりうまいんで、噛まないで飲んでやがったんだから」
と、NYスタイルのステーキをただただ絶賛するのでした。