こういうことがあるから、映画興行は面白い。映画評論家からは批判を浴び、大手メディアからはほぼ無視された「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(以下、「あの花」)が大ヒットしているのである。
すでに興収28億円を突破し、30億円超えがまもなくだ。プロの書き手が批判的、メディアが無視する作品がヒットするのは珍しいことではないが、今回はそのギャップが非常に大きい。見どころのひとつである。
「あの花」は、予告編を何度も見ていた。現在の女子高生が1945年にタイムスリップし、出撃間近の特攻隊員と恋に落ちる。原作は人気になっていると聞いていたが、この設定と話には、見るのを躊躇するものがあった。どこかベタすぎる感覚があったのだ。
ところが見た人、特に主力の客層である中高生や20代の若い女性の口コミがやけに良い。それに伴い、興行も伸びていくのだが、いったい何があるのだろうか。重い腰が上がった。
特攻隊員と女子高生の恋愛物語という悲話が、ストレートに若い観客の気持ちをとらえたように感じた。身も蓋もない言い方だが、そうとしか思えない。
ベタな話とは、定番的な話ということだ。定番には、人を惹きつける要素が多分にある。定番はまた、人によって受け取り方は違う。時代によっても違う。定番が、全く新しくなる場合もある。今回が、そうではなかったか。
とはいえ、見ていくにつれ、別の要素に釘付けになったことも指摘しておきたい。「ぜいたくは敵だ」の町の看板が、やけに目立つ1945年の時代相だ。それは食料危機である。
食堂に身を寄せた女子高生・百合(福原遥)は店主(松坂慶子)から、ふかした芋をふるまわれる。百合はちょっと複雑な表情を見せるが、ここは比較的、食べ物が入ると見られる軍御用達の食堂だ。戦争末期、それでも「ぜいたく」だという意味を持つ。
特攻隊員の彰(水上恒司)と一緒に、かき氷を食べるシーンがある。砂糖水をまぶしただけのかき氷を前に、百合は果物が欲しいようなことを言う。あるわけがない。いくつかある食べ物の描写が、なかなか心に迫ってくるのである。
これらを観客は、具体的な描写として「見る」ことになる。当時の食料事情は、若い観客にとっては一種のカルチャーショックではなかったか。食べ物の枯渇という戦時下の「現実」は、なんともリアリティーがある。
このたびの能登半島地震でも、パレスチナ自治区のガザ地区でも、テレビで見る食料不足の光景はその都度、強烈な印象を与える。心をグサッとえぐられる。
「あの花」は食べ物をめぐって、人間の本質を描いた作品にもとれる。大ヒットの理由ではないにしても、「あの花」を見れば、そのことが強烈に実感できる。若い観客にとっては、これぞ「生きた歴史教科書」であろう。
ちなみに、ちょっと残念だったのは、予告編に特攻隊員の一人を演じる伊藤健太郎の俳優名がなかったことだ。映画を見て初めて、出演を知ったのである。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。